『ジョーカー』をモーっと楽しもう

軍師かんべえ

おかえりなさいませ(*- -)ペコリ
ココでは『ジョーカー』
徹底解析完全ネタバレとなってます。
鑑賞前のお客様はご遠慮下さいませ。

ジョーカー

2019年:アメリカ・日本公開
監督:トッド・フィリップス
出演者:ホアキン・フェニックス 他

本作『ジョーカー』はDCコミックス『バッドマン』に登場する悪役(ヴィラン)である『ジョーカー』が誕生する経緯が描かれている作品。2019年アメリカ公開時に警察や米軍が警戒態勢を敷き映画館では手荷物検査が実施される事になったという事で別の意味でも話題となった超問題作なのだが、『なぜ?』ここまで厳戒態勢での上映となったのかは…2012年『ダークナイト・ライジング』上映時に起きた銃乱射事件と本作『ジョーカー』の内容によるもの。ここでは鑑賞済という前提で話を進めていくため詳しい『あらすじ』は省いて個人的な感想を軸として書き綴っていきたいと思います。まだ鑑賞をされていない方はお手数ですが鑑賞した後に再訪問お願い致します。

『ジョーカー』は危険な作品?

銃社会のアメリカと日本とでは事情が変わるのでアメリカ警察が危惧していたような事が日本でも…といったような心配はされていなかったみたいだが私こと『軍師かんべえ』は『ジョーカー』を観終わった時に逆の意味で『危険な作品』という印象を受けてしまった。今の日本の若者が格差社会に対し憤りを覚え…集団での『暴力』へと変えるだけのパワーは持ち合わせていない。それよりも『脱力』という負のパワーを生み出すのでは…という危険性を感じてしまった。

格差社会、学歴社会、いじめ、障害を持つ者、人種差別いったように多くの問題を抱えながら私たちは暮らしているのだがアーサーの様に多くを一気に背負っている人間というのは中々見かけないものだ…不況時代とはいえ世界から見れば比較的まだ安定した国の中で暮らしているおかげなのかもしれない。ただ一部分的に問題を抱えている者は多く目にする。仕事上で障害者と接する事が多いせいなのかもしれないが…

ジョーカーになる者と…ならない者

上でも書いた様に私は仕事で障害者施設に訪問する事が多く…彼等、彼女等が就労支援施設で一生懸命に仕事をしている姿を目にします。ある時、彼らから話を聞いて涙が溢れてしまった事がありました。『僕は社会に不必要な人間だと思っていたのですが…ココで物作りの仕事をして、お客さんが喜んで買っている姿を見て…僕は必要とされていると実感ができたんです』この時、私は彼等は社会からの承認欲求を望んでいたのだなぁ…って痛感しました。

一方で『生活保護』を受けようとする自称障害者という人たちとも接する機会がありました。彼等は私が見る限りは『働けるでしょ!』と感じてしまう人が殆どで…なぜ?生活保護を受けようとするのかまさに疑問である。

『ジョーカーになる者』=『承認欲求を望んでいる者』
『ジョーカーにならない者』=『承認欲求を望んでいない者』

私が本作を危険な作品と評したのは『ジョーカーにならない者』=『自分という人間が承認されていなくても平気な人』の方である。決して社会に対して『犯罪を行え!』という意味ではない。義務も果たさずに権利だけを主張するような『自称弱者になってはいけない』という意味である。しかし本作を鑑賞した時に間違った解釈をしてしまう恐れがあるのは…確かである。だからこそ本作はアメリカが抱えた危険とは違う日本ならではの危険性が伴う映画だと私は感じてしまいました。

軍師かんべえ

説明って難しいですねぇ。『社会が悪い!』『政治が悪い』『不景気だから…』と世の中のせいにして行動しない奴らを増長させるような間違った解釈をしてしまう恐れがある…という事。

狂っていたのは?

『狂っているのは…僕か?世間か?』冒頭でアーサーが私たちに問いかけているような質問をしてきた言葉こそが本作の最大のテーマだと私は感じてしまった。確かに世の中は狂っているのかもしれない…政治というものは『強者に有益』になるように強者が決めるもので『弱者』への配慮は考慮されていない。だからこそ『弱者』で生まれてきた者は、その流れに飲み込まれるか…もしくは『強者』に変貌するか…の選択を迫られる事になる。しかし私たちは、『狂っているのは世の中だ』という事を理解しながらも日常として暮らしていかなければいけない。アーサーは私たちと同様に自分のズレは『世の中が狂っているせいだ!』と感じていたはずだ…しかしアーサーは自分の出生の秘密や虐待により障害を抱えてしまったという事実を知った時に『狂っていたのは世間ではなく…自分だった』と悟り『ジョーカー』(強者)へと変貌してしまう。

軍師かんべえ

『僕の人生をメチャクチャにした母親の介護をしていたなんて…まさに喜劇だ』この真実は確かに怖い…

インスパイアされた作品

監督のトッド・フィリップスは『ジョーカー』を製作するにあたり1976年公開『タクシードライバー』と1983年公開『キング・オブ・コメディ』の2つの作品から大きく影響を受け脚本を手掛ける。2作品共に監督はマーティン・スコセッシが製作、主演は本作でもマーレー役として出演しているロバート・デ・ニーロが演じている。

『タクシードライバー』と『キング・オブ・コメディ』が本作にどうのような影響を与えていたか…を個人的な感想を踏まえて解説していきますので2作品のネタバレとなっております。

軍師かんべえ

この2作品を踏まえる事で『ジョーカー』の深みが増しますよね…

タクシードライバー

1976年:アメリカ・日本公開
監督:マーティン・スコセッシ
出演:ロバート・デ・ニーロ 他

ベトナム戦争から帰ってきたトラヴィスは孤独な生活をニューヨークで過ごしていたが『ジョーカー』同様に彼も社会から認めて貰いたいという承認欲求を望んでいた。トラヴィスは大統領予備選の選挙事務所で働く女性ベッツィに一目惚れをしてデートに誘うのだが、その行為は彼女と付き合いたいというより彼女に自分という存在を認めて欲しいというもので、平たく言えば『誰でもよかった』のではないかと思いました。しかし世間とのズレがあるトラヴィスは初デートでポルノ映画に誘うという愚行をしてしまいフラれてしまいます。怒ったベッツィはトラヴィスを無視し続けるのだが…トラヴィスはベッツィの心の中にある自分という存在を再認識させるために彼女が支持している大統領候補の議員の暗殺を企てようとします。

軍師かんべえ

この考えが世間とトラヴィスとのズレですよね…彼女を振り向かせるために『暗殺』という考えには普通はならない

承認欲求

『暗殺』を企てるのなら目立たない格好をするのだがトラヴィスはモヒカンにするという逆の行動を取っています。これは暗殺が成功した時にモヒカン姿の自分が新聞やニュースに取り上げられている…という想像をしていたのではないでしょうか。インパクトのある姿で注目を浴びれば世間からの印象は更に強く残るという考え。しかし暗殺は失敗に終わりトラヴィスは承認欲求を満たすために次なる計画に移る…

売春をやっていた13歳の少女アイリスを元締めから救うために銃撃戦を繰り広げ自らも銃弾を受け重傷を負う事になる。この救出劇はトラヴィスが勝手にやった行動でアイリスは売春から抜け出したいと思っていなかった…というココでも少女アイリスに自分という存在を示したかったという承認欲求からくる行動だった。

軍師かんべえ

自分という存在を示せれば誰でも良かった…という行動ですよね。巻き込まれた奴らは災難でしかない…

主観と客観

トラヴィスは『世間から自分という存在を認めて欲しい』という思いから3人を殺害しただけの『狂った男』なのだがマスコミはトラヴィスを一人の少女を裏社会から救った英雄として祭り上げ彼を称えた。町のヒーローとなったトラヴィスはご満悦なのだが…彼の狂気じみた目は『こいつ…また殺るな…』といった目をしてエンドロールが流れ出す…

トラヴィスは承認欲求を満たすためのターゲットは誰でも良かった…『議員』でも『マフィア』でも…ただ議員暗殺は失敗に終わり、マフィア暗殺は成功したというだけで…結果として彼女自身は望んでいなかったが一人の少女を裏社会から救うという事実だけが残ってしまったため世間はトラヴィスを『正義』として扱う。しかしトラヴィスの行動は『悪』そのものである。まさに『ジョーカー』の中でもアーサーが語っていた『善悪は主観でしかない』という言葉にあたってしまう。

『強者』からみれば暴動を引き起こし自分たちを脅かす『ジョーカー』という存在は『悪』なのだが…『弱者』からみれば『ジョーカー』は『正義』になってしまう。まさしく『タクシードライバー』のトラヴィスという男と同じ描かれ方をされていました。

軍師かんべえ

私が『タクシードライバー』を怖いと思ったのは…今自分がやっている行動は見方を変えれば『もしかして正しくない行動?』と思ってしまった事…考えていたら身動きが取れませんけどね!

キング・オブ・コメディ

1983年:アメリカ公開
1984年:日本公開
監督:マーティン・スコセッシ
出演:ロバート・デ・ニーロ 他

コメディアンとして有名になりたいルパード・パプキンは有名コメディアンのジェリー・ラングフォードに強引に自分を売り込んでいく。しつこいパプキンに対しジェリーは『今度、自演テープを事務所に持ってこい』と伝え追い出すのだが…ここからパプキンの狂気じみた勝手な妄想が始まっていく…

軍師かんべえ

この時代に『ストーカー』という言葉はまだ存在していなかったが…まさに『ストーカー』がとる行動をパプキンはしていましたね!

妄想

『キング・オブ・コメディ』の中でパプキンは自分勝手な妄想を描き現実との境目を見失っていました。妄想の中でジェリーに『別荘に遊びに来い』と誘われ現実の世界で本当に別荘に遊びに行くとジェリーに激怒されてしまいます。観ている私も『どれが現実で…どれが妄想なのか?』分からなくなってしまう程で…特に最後のオチが物議を醸し出していますよね

パプキンは『コメディアンとして売れない一生を送るのなら、一夜だけでも王になりたい』とジェリーを誘拐し強引に番組に出演を果たしたことで警察に捕まり牢獄に入れられる結果となります。しかし服役中に書いた自伝が全米で大ヒットを起こし、出所後にはコメディアン界の王として返り咲く…というラスト。これはパプキンが描いた妄想なのか?現実なのか?は今でも映画ファンの中では物議を醸し出している。

『ジョーカー』の中でアーサーは多くの妄想を描いていました。父親のいなかったアーサーは有名コメディアンのマレーを理想の父親像と思い描き『全てを投げ捨ててでも君を息子にしたい』とマレーに言われている妄想を見てしまいます。しかし現実はアーサーを笑い者にするため出演を依頼し番組中にアーサーに説教をした事により生放送中に銃で頭を撃たれてしまいます。他にも同じアパートに住むソフィーとの恋愛も愛情に飢えているアーサーの勝手な妄想だったみたいです。

『キング・オブ・コメディ』も『ジョーカー』も『どこまでが現実で…どこからが妄想なのか?』といった謎の多い共通点があり、特に『ジョーカー』でもラストシーンの考察は映画ファンの中でも物議を醸し出しています。

軍師かんべえ

『ジョーカー』ラストシーンの個人的な考察は次の『総括』で語っています!

総括

『僕の人生は悲劇かと思っていたが…喜劇だった』
この言葉はアーサーが最後に語っていたセリフなのだが…凄く心に突き刺さる痛い言葉に聞こえてしまいました。このセリフ自体はチャップリンが語っていた『人生はクローズアップで見れば悲劇だがロングショットで見れば喜劇になる』を引用したセリフとなる。『自分にとっての悲劇は他人にとっては喜劇となる』という意味で映画の中でも観客が笑っているジョークは全て『他人の不幸話』や『社会や政治に対する皮肉』といったものでした。心の優しいアーサーには他人を傷つける様なジョークを言う事は出来なかったので彼はコメディアンの資質がなかった事になります。しかしアーサーは最後の最後に気付いてしまいます。『だったら僕の人生を喜劇にするためには…他人を悲劇に陥れればいいのだ』と…そして『ジョーカー』が生まれてしまったのです。

『ジョークを思いついたんだ…』

ジョーカー『ジョークを思いついたんだ…』
カウンセラー『聞かせてくれる?』
ジョーカー『あんたには理解できない』

『ジョーカー』のラストシーンでカウンセラーと会話するアーサーの言葉の意味で映画ファンは色々な考察をしています。中でも興味を引いたのが『本作全体がアーサーの妄想』だったという説。確かに面白い…如何にもジョーカーらしい『ジョーク』で2時間近い映画で『あ~だ…こ~だ…』考察して最後に『ジョークだったんかい!』は誰も傷つけずに笑えてしまう。しかし私こと『軍師かんべえ』は対抗心からか何度も映画を見返し…ある考察に辿り着くことができました。

アーサーが笑いながら『ジョークを思いついたんだ…』というセリフの中に挟まれていたのが後にバッドマンになるブルース・ウェインが両親を殺され呆然と立ち尽くしているカット。このカットを挟んでいる意味とは?これこそがアーサーが考え出した『最高のジョーク』だったのではないかと私は考えました。

アーサーが取った行動でゴッサムシティは無法地帯となり暴動が起こります。その影響でブルース少年の両親は暴漢に襲われ命を落としてしまいました。ブルース少年は後にバッドマンとなりゴッサムシティを浄化するため町の自警を始め…そしてジョーカーと対峙する…しかもブルースは自分の義理の弟かもしれない…こんな最高なジョークはあるかい?

軍師かんべえ

本作全部が妄想ではなく…今後に描かれるべきバッドマンこそがアーサーが描いた妄想だったのでは?

『ジョーカー』は本当に色々な解釈ができる作品で何度見ても考察が変わってしまう作品でした。10人いれば10個の解釈があってもいいのではないでしょうか?だって『ジョーカー』の気持ちが理解できる人間なんていない筈です。もし貴方が理解できるというのならば…次なる『ジョーカー』は貴方なのかもしれませんね…

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今回も長文失礼いたしました
それでは…

またのお越しをお待ちしております

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