『突入せよ!あさま山荘事件』を100倍楽しもう

おはこんばんちわ(-ω-)/
管理人『軍師かんべえ』です。
映画ライフを楽しんでますか!鑑賞前の予備知識!これで映画はもっと面白くなる。今回の作品はコチラ!
『突入せよ!あさま山荘事件』を
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突入せよ!あさま山荘事件

2002年:日本公開
監督・脚本:原田眞人
原作:佐々淳行『連合赤軍「あさま山荘」事件』
出演:役所広司、宇崎竜童 他
1972年(昭和47年)に実際に起きた連合赤軍5人による人質立て籠り事件『あさま山荘事件』を当時、指揮幕僚団として派遣された佐々淳行が描いた著書『連合赤軍「あさま山荘」事件』を完全映画化

動員された警察官のべ12万人、死亡者3人、負傷者27人、集まった報道陣600人、テレビ中継の最大視聴率89.7%と史上最高を記録。実に1億人以上の日本人がテレビの前で息を飲んだ昭和最大にして最凶の凶悪事件『あさま山荘事件』がなぜ起こってしまったのか?連合赤軍とは?彼らは何を目指していたのか?の視点からこの事件に至るまでの経緯を徹底解析!これで『突入せよ!あさま山荘事件』は100倍面白くなる!

最大89.7%の視聴率って…この事件の突入時の中継で放送局は初めてCMを流さなかったみたいですよ!
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登場人物
佐々淳行 警視庁警備局付

本事件で警備局付という立場から現場の総指揮にあたる。1969年には全共闘および新左翼が東大を占拠した東大安田講堂事件で警備実施を指揮。その後イギリスの特殊部隊から爆発物処理の研修を終え帰国したところに後藤田正晴警察庁長官から『あさま山荘事件』の指揮を任される。警視正では警察庁課長職に就けないため変則的な『警備局付』という人事が行われた。表面上は丸山昴警視監を団長とする指揮幕僚団ではあるが実質は佐々淳行警備局付が全面的に指揮を行っていた。

警察の役職は難しすぎて理解しにくいですね。簡単に言うとTOPは丸山昴警視総監だけど実際に指揮を執っていたのは佐々淳行警備局付…と考えましょう!
宇田川信一 主席管理官

佐々淳行にスカウトされ警備部警備第1課長代理となる。警備実施を統括し『コンバットチーム』と呼ばれる現場情報犯を率いて東大安田講堂事件の警備事案を担当。

またまた難しい言葉が羅列されていますが…実行部隊を指揮する人って云えば分かりやすいかな…
野間 長野県警本部長

長野県の警察官を統括する県警本部長という立場で階級は警視監。本来は『あさま山荘事件』は長野県で発生したため長野県警が捜査、解決にあたるのだが過激派鎮圧警備に不慣れであるため警察庁が長野県警のバックアップという立場で現地に送られてくる。長野県警の職員は警察庁に対し縄張り意識を強く表したため板挟みに合うというツライ立場を取る事になる。

『踊る大捜査線』でも描かれていた『警察庁』と『県警』のいがみ合いって…本当なのでしょうか?
後藤田正晴 警察庁長官

日本警察において唯一階級が適用されない警察官であるが警察官の最高位。つまるところ警察庁長官より上はいない…という事。『あさま山荘事件』で後藤田正晴警察庁長官は指揮にあたる佐々淳行に本事件に対する方針を託し長野へ向かわせることを決定させる。
『あさま山荘事件』6つの方針

・『人質は必ず救出せよ』これが警備の最高の目的である
・犯人は全員生け捕りすべし
・身代わり、人質の要求には応じない
・火器の使用は警察庁の判断
・報道、マスコミとは良好な関係を保つ
・警察官に犠牲者を出さない

銃を乱射するテロリストに銃の使用を禁じ、人質は救出…犯人は生け捕り…犠牲者を出すな!ってムチャ振り過ぎるんですが…
内田尚孝 第二機動隊隊長

『第二機動隊』は1960年安保闘争を始めとする治安状況の悪化を受けて1966年に設立。『第二機動隊』を有さない道府県警に置かれる非常勤の予備部隊である。隊員は機動隊経験者や若手警察官を中心に一般の制服警察官が兼任。平常時は警察署の各部署で通常の勤務を行っている。

内田尚孝は日本の特殊部隊とも呼べる第二機動隊の隊長で部下からの信頼も厚いが…結構頑固な一面も持ち合わせている人物。映画の中では…ですが
小雀真理子

あさま山荘の管理人の妻で連合赤軍の5人により人質となり監禁され生死は不明。管理人の夫の彰夫は宿泊客をスキー場に連れて行っていた事から難を逃れる。小雀真理子という名前は実際の事件で人質となった女性の名前とは違います。ネットで調べればスグに分かりますがココでは小雀真理子という名前でいかさせてもらいます。

とにかく生きているのか分からないので強引な突入も…攻撃もできない!八方塞がりって…こういう事なんですね
連合赤軍とは…

1972年2月、突如『あさま山荘』を襲った5人の連合赤軍メンバー。彼らは何故『あさま山荘』に立て籠ったのか…連合赤軍とは…彼らが目指していたものとは…そこには身の毛のよだつ壮絶な真実が隠されていた
日本共産党

2019年9月現在で約28万人の党員を抱え西側諸国で最大規模の共産党となっているのが『日本共産党』。1922年に設立、現存する日本の政党としては最古の歴史を持つ政党である。

現在の日本共産党と左翼活動家は一切の関係性は持っていません。
51年綱領
『綱領』とは政治団体、特に政党の方針、対策、主義主張を示したもの。
日本共産党が1951年に掲げた『51年綱領』とは当時の共産党が主張した方針となる。『日本の解放と民主的変革を平和の手段によって達成しうると考えるのは間違い』つまり当時の共産党は『平和的な変革はありえない』と主張していた事になります。更に怖いのが『武装の準備と軍事の行動を開始しなければならない』とする『軍事方針』を打ち上げていた。この方針に基づき日本共産党による襲撃事件が相次ぐことになります。

過激派分裂
日本共産党は51年綱領に基づき全国的に暴力的破壊活動を繰り返してた結果…国民から非難されるところになり、昭和27年の衆院選で党候補が全員落選。
『51年綱領』撤廃
日本共産党は昭和27年の衆院選の全員落選を受け昭和30年に『革命情勢がないのに武装蜂起した』と強く自己批判。昭和33年には『51年綱領は歴史的な役割を果たした』と自らが行ってきた破壊活動を反省することもなく『51年綱領』を撤廃させ武装闘争路線を放棄。つまりは『やってきた事は時期が早すぎただけで間違いではない』という主張。
この日本共産党の突然の路線変更は今まで党の方針と信じて武装闘争を続けてきた党員の信頼を大きく失せなわせてしまう結果となる。党に失望して脱退した者や除名された者たちが日本共産党から分裂する形で共産主義者同盟(ブント)を設立。しかし1970年に戦旗派、全国委員会派、ML派、赤軍派などの複数の党に分裂。更にML派から分離したグループが革命左派となります。
共産主義者同盟赤軍派
塩見孝也の元に作られた共産主義者同盟赤軍派は武装蜂起を主張して勢力を拡大させるが大菩薩峠での軍事訓練で党員を一斉検挙される事件を皮切りに主要幹部が次々と逮捕され弱体化してしまう。相次ぐ逮捕劇に押し出されるように党のTOPに立ったのが森恒夫。森は党の資金調達を目的とするM作戦(金融機関強盗)を実行し成功するが活動資金を得ても戦うための武器を揃える事ができないでいた…
革命左派
共産主義者同盟(ブント)から分離したML派は相次ぐ分裂を重ね1969年に革命左派が設立され1970年には永田洋子が最高指導者となる。1971年に永田は銃砲店を襲撃し猟銃10丁、空気銃1丁、銃弾約2300発を強奪。革命左派は戦うための武器を手に入れるが活動をしていくための資金に悩まされる事になります
連合赤軍誕生
森恒夫を最高指導者とした『共産主義者同盟赤軍派』は『金はあるけど…武器がない』
永田洋子を最高指導者とした『革命左派』は『武器はあるけど…金がない』
この2つの左翼が結託し新たに結成されたのが『連合赤軍』

連合赤軍の母体の一つである革命左派はテロを行ったメンバーが指名手配をされていて都市部での活動が困難になっていた。そこで警察の目の届かない山梨県の山岳地帯に今後のテロ活動の拠点を作り軍事訓練を行う。山岳ベースに集まったメンバーは29人の男女。そして…驚愕な事件へと繋がっていく…
山岳ベース事件
連合赤軍の指揮に当たっていた森恒夫と永田洋子は山岳ベース訓練に参加したメンバーに『総括』という名の『反省』をさせていたのだが次第に『総括』の内容がエスカレートされ対象者に集団でリンチをするという暴行まで発展してしまう事になる。その粛清理由は森、永田の難癖によるものが多く『キスをしていた…』とか『自分だけ風呂に入った』とか『トイレで他人に紙を取ってもらった』とか中には女性メンバーに『髪が長い』という理由だけで『総括』という名の粛清を行っている。そして12人の同士が森、永田の命により総括を受けて死亡することになる…その中にはお腹の中に子供が宿っていた妊婦も犠牲者となっていた。森と永田は死んでしまった同士は『敗北死』と罵り、その死体は山中に埋められていた。

森恒夫・永田洋子逮捕

警察の目を搔い潜りながら拠点を転々と変えてきた連合赤軍は『総括』という名の『粛清』で12人もの死亡者を出していた。リーダー各の2人の森と永田は訓練途中に資金調達のため下山する事になる。この2人の下山を期に4人のメンバーが脱走。残った連合赤軍は森、永田を加えた9人。そして森と永田は資金調達を終えメンバーの元に戻ろうとしたところを警察に逮捕されてしまう。残ったメンバーは7人で2人の指導者を失う事になる。
そして『あさま山荘』へ…
内ゲバ(内部抗争)や脱走者に加え森と永田の逮捕により連合赤軍は残り9人となってしまう。更に食料調達のため4人が街に降りてきたところを不審に思った住人に警察に通報され逮捕され…遂に連合赤軍は5人となってしまう…

そして5人は雪の軽井沢を彷徨い歩いている所から『突入せよ!あさま山荘事件』につながってきます。
彼等は何をしたかったのか?

私が大学生の頃『むかしの若者は…熱かった…』と語るオジさんがよくいた…最近は全く聞かなくなったが…当時は『こいつ…何を言ってるんだ?』と感じていた事をこの映画を観て思い出してしまう。考えてみたら今も昔も『若者が考えている』事はそう対して変わらないのではないのか…と個人的には思っていて少なからずも今の体制に不満や不安を若者たちは抱えているという意味では同じなのではないでしょうか。ただ1970年代は集団で学生運動という行動に出ていて…現在は個人でネットに書き込みをするという行動に出ている…というだけの差。連合赤軍に限らず左翼活動を行っていた方たちは『日本を変えたい』という思いは認めるものも『方法』はかなり間違っていた。当時だって『日本を変えたい』という思いの温度差はあったはずだ。『武力を持って変革をしたい』という思いもあれば『主張を訴えたい』という思いもある。この温度差が山岳ベース事件という惨劇を生んでしまったのではないでしょうか…この後、残った連合赤軍の5人は『あさま山荘』に逃げ込み人質を盾に10日間の籠城に打って出る。本作で佐々淳行は『彼らは革命の英雄ではなく、国民の敵であることを示さなければいけない』と語っている。いくら崇高な思想の基であろうと武器を持って攻撃すれば…それは国民の敵になってしまう。彼らが取った行動は革命ではなくただの残虐行為でしかなかった。何をしたかったのか?と問われれば個人的には『何も出来なかった』としか思えない。そこには何の正義も思想もないとさえ思っている。現在のネット社会でも銃という武器の変わりに悪質な誹謗中傷という武器を手に他人を攻撃する輩が頻発する…私は今も昔も変わらないと思う所はこういう事である。

『昔の若者は熱かった!俺らの時は国と闘っていた!』と言ったオッサンに『それをTVで観てただけでしょ!』と言ったらキレられた記憶が蘇ってくる。
『突入せよ!あさま山荘事件』を楽しむポイント

やはり本作を楽しむ最大のポイントは当時の若者が何と闘っていたのか?を知る事で映画の奥深さが変わってくると思います。できればココでの情報以上の事を知れば知るほど本作はもっと面白くなるでしょう!ただ、これ以上書くと私自身の身の危険が…って言うのは冗談ですけどね。あと『踊る大捜査線』と同様に警察庁と県警の『やっかみ』がコメディタッチで描かれているのも面白さの一つ。『あぁぁコイツらイライラする~』といった佐々警備局付き目線で観てみるのも面白いですよ!


それでは素晴らしい映画の世界に
『いってらっしゃいませ』
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初めまして。
昨日この作品を見て、その後ググった結果、こちらに辿り着きました。
とても素晴らしいレビューだと思ったので、リンク貼らせていただきました。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=4730432370382544&set=a.4370850729674045&type=3¬if_id=1620872877908445¬if_t=feedback_reaction_generic&ref=notif
コメントありがとうございます。あさま山荘事件は私が生まれる前の事件で印象としては薄かったのですが…この映画を観た事でどのような事があの時代に行われていたかを知りゾッとした気持ちになりました。少しでもKuuさんの心に私の記事が響いた事はとても嬉しい限りです。今後とも映画記事を書き進めていきたいと思っておりますので是非またご訪問下さいませ。コメント本当にありがとうございました。