『ショーシャンクの空に』をモーっと楽しもう

おかえりなさいませ(*- -)ペコリ
『ショーシャンクの空に』の
徹底解析 完全ネタバレとなっております
賞前のお客様はご遠慮下さいませ
本記事は 『ショーシャンクの空に』感想レビューとなっておりネタバレが含まれております。
本編未鑑賞の方は予備知識編『100倍楽しもう』の記事をご確認の上で再度お越しください
目次
ショーシャンクの空に

1994年:アメリカ公開 1995年:日本公開 監督:フランク・ダラボン 脚本:フランク・ダラボン 原作:スティーブン・キング「刑務所のリタ・ヘイワーズ」 製作:二木・マーヴィン 製作総指揮:リズ・グロッツァー、デイヴット・レスター 出演:ティム・ロビンズ、モーガン・フリーマン ボブ・ガントン、ウィリアム・サドラー クランシー・ブラウン 他 音楽:トーマス・ニューマン 撮影:ロジャー・ディーキンス 編集:リチャード・フランシス=ブルース 製作会社:キャッスル・ロック・エンターテインメント 配給:コロンビア・ワーナー 松竹富士
心に残る名作としてプロの映画評論家から私のようなアマの映画好き人間までもが超絶に絶賛している『ショーシャンクの空に』…気にしすぎていた感はあったのだが映画好きからすれば純粋に人にオススメできない どこか扱いにくい作品となっていたのも事実なのです。
もちろん人に聞かれれば『名作だよ』と即答できるが…『好きな映画は?』と聞かれたときに中々『ショーシャンクの空に』とは素直に答えられない…という状況にになっていたのです。
一昔前になるが『ショーシャンクの空に』と答えていれば映画通を気取れていた時期があったのです。映画を殆ど鑑賞しない人からすれば『へぇ~何その映画』となるのだが、休日はレンタルビデオを借りてたまに映画を見ています…って程度の人なら殆どの人が本作を鑑賞していたのではないでしょうか…
『バックトゥザフューチャー』や『タイタニック』ほどの知名度はないが感動が保証されている映画作品として丁度いい塩梅なのです『ショーシャンクの空に』という映画は…だからこそ映画好きからすると『好きな映画は”ショーシャンクの空に”です』と答えてしまうと『映画通を気取っている』なんて思われるのでは…と不安になってしまい本作をオススメすることに躊躇してしまっていたのである。
実際に私の知り合いに大企業の人事部に配属されている知人がいるのだが…新卒採用の面接時に『好きな映画は?』の質問に『ショーシャンクの空に』と答えた者は面接で落としていた…という時期があった事を聞いたことがあります。彼が言うには どこかで『”ショーシャンク”と答えていればOK』というのが出回っていたみたいで、この回答をする者が非常に多かったみたいである。
この現象も一昔前の出来事なので若い方なら鑑賞していない方も多いでしょうし、観たことある方でも相当前の作品なので内容を忘れている人も多いので今となれば堂々と『ショーシャンクの空に』をオススメできるのです(笑)

更にもう一つ…『ショーシャンクの空に』を未鑑賞の人に紹介する時に『脱獄映画』だという事を思わずバラしてしまう方が何故か多いのです。確かに衝撃的なシーンで一番印象に残る名場面なのですが…ミステリー映画で犯人をバラしてしまうほど重要なネタバレをしていることに本人は気付いていないのです。
アンディは本編の中で脱獄をイメージさせるような事は一切していませんでした。突如として牢から姿を消しポスターの裏に隠された穴が出てきたときに私たちは『あぁぁぁ…やられた』と初めてドンデン返しされたことに気付くのです。
でも未鑑賞の方に思わず『ショーシャンクって…脱獄の映画でしょ』と軽い感じで重要なネタバレをしている人を何人も見てきました。もちろん悪気がないことは承知なのだが、おそらく脱獄の後にある再会のシーンで最大のカタルシスを感じてしまったことで気持ちが飛んでしまったのかもしれません(笑)もし他の誰かに本作を紹介する機会がある場合はネタバレに十分に気を付けましょうね…といったようにココでは『ショーシャンクの空に』を既に鑑賞しているという前提で記事を作成しております。ネタバレ注意となっておりますのでご了承ください。

本作を紹介する時には下手に言葉を考えるよりも『とにかく見てください…保証しますから』で十分なのかもしれませんね

主人公は…

本作でよく話題となるのが『主人公問題』とはいっても熱い論争になるほどではないが主人公はアンディなのか…レッドなのか…というものである。
どちらが主人公だとしても作品の素晴らしさが変わるわけではないが私個人の意見を言わせてもらうと主人公はレッドであると感じています。

なぜなら本作は全てレッドの視点で語られています。語り手となっているレッドの言葉には自分という人物像が実に表現されていて言葉の中には怒りも喜びも悲しみも込められているのです。原作者のキングも監督のダラボンもレッドに感情移入させるように演出されていました。
それに対しアンディは彼のとった行動や言葉だけでしか表現されておらず彼が何を思っているのか…という感情の部分は私達には悟られないように作られているのである。
アンディはイエス・キリスト

『ショーシャンクの空に』というタイトルは邦題であり原題は”The Shawshank Redemption”つまり『ショーシャンクの贖い』となります。仏教国である日本では『贖い』という言葉には馴染みがないでしょうがキリスト教用語としては よく出てくる言葉であり『罪や過ちの償いをする』という意味である。
イエス・キリストが贖罪したことでこの世の人々が救われたようにアンディという人物もショーシャンク刑務所の中での希望の光であり救いの主なのである。だからこそアンディは感情が悟られないように演出されていたのである。
アンディが仲間に振舞った労働後のビールは最後の晩餐でイエスが12人の弟子たちにワインを振舞った『最後の晩餐』のエピソードをオマージュしていたのだと思われます。脱獄後の両手を掲げるポーズは磔にされたイエスを連想することができますし…脱獄というのもイエス・キリストの復活に掛けているのでしょう。
救われたのは…

『ショーシャンクの空に』がキリスト教神秘主義に基づいて作られていることはご理解頂けたかと思われます。ではイエス・キリストが世の人々を救ったように…アンディは誰を救ったのか…
間違いなくレッドである。『ショーシャンクの空に』という物語はアンディの贖罪によってレッドが救われるというレッドの視点で描かれた物語なのである。この物語の主人公はレッドなのである。

勘違いしないでほしいのは、アンディが脱獄することにカタルシスを感じるのではなく、レッドが救われることにカタルシスを感じるのである。

冤罪なのか

『主人公問題』と同様にアンディの妻殺しの罪に対し『冤罪』なのか『有罪』だったのかも問題になっているのである。アンディ自身は冤罪を訴えているのだが状況証拠が有罪と雄弁に語っていたので彼は投獄されたのである。ただ監督のダラボンは どちらにでも取れるようにわざと演出をしていたように思えます。
なぜならアンディにしか真相は分からないからである。先にも述べたが『ショーシャンクの空に』は全てレッドの視点で描かれている物語なのです。だから冒頭のアンディの妻と愛人が殺されるシーンも真実が映し出されているのではなく、レッドが想像したことが映像として流れているだけなのである。
結果としてレッドもアンディが妻を殺した犯人なのか…冤罪なのかは分かっていないのである。だから演出としてどちらでも取れるようになっているのである。
以上の点を踏まえた上で あくまでも私の個人的な思惑としてアンディは冤罪なのである。
アンディは冤罪

『主人公問題』と違って『冤罪問題』は本作に於いてかなり重要だと私は思っている。
もしアンディの殺人が真実なら本作がキリスト教神秘主義に基づいているという事もアンディがイエス・キリストと重なっているという事もレッドが救われたという事も全て覆ってしまい…ただ殺人犯が牢獄から脱獄するだけの逃亡映画となってしまうのである
イエス・キリストがユダヤ教徒から無実の罪で磔に処されるがイエスは自らの刑を人間の罪への贖罪としたことで人類は救われるというのが聖書の教えでもあります。だからこそアンディも無実の罪で囚われているからこそレッドは救われるのです。
何よりトミーの証言こそがアンディが無実であることを証明していました。裁判で語られていた犯行とトミーの証言は少しばかり違うことを言っているが 何よりも地域と時期的な合致、被害者が妻と愛人(プロゴルファー)だったこと、冤罪で捕まったのは銀行員の旦那であったこと…これだけの偶然が重なることはまずないでしょう…しかもトミーが嘘をつく理由は全くないのです。
アンディは無実の罪で終身刑を受けていたと私は考えています。だからこそアンディの脱獄はキリストの復活であり…刑務所内の希望の光であり…囚人たちの救いとなったのである。

たとえ脱獄後に億万長者になれたとしても冤罪で20年近くの投獄は嫌ですよね…しかも掘られるんすよ(゚д゚)!

希望

希望は危険だぞ
希望は人を狂わせる…塀の中では禁物だ
アンディと同じ終身刑で服役しているレッド。刑務所内でアンディとレッドは非常に仲が良く、とても気の合う友人関係を築いているが二人の間には自らの未来に対し決定的な違いがありました。
アンディは自らの未来に希望を持っていたのに対しレッドは希望を持つことは危険であると考え捨てようとさえしていました。希望を持つことに対し意見が食い違った二人は軽くではあるが言い合いをしていましたが…なぜ二人にはこのような違いが生まれたのか
それはアンディは無実の罪で投獄されていたのに対しレッドは本当に罪を犯していたからである。だからこそレッドは刑務所の中で一生を過ごすことは当然の報いであると感じていたのである。

もちろんレッドは心の奥底では仮釈放となって社会復帰できることを望んでいた一面も持っていたのだが…それ以上に刑務所で長年暮らしてきたことで外の生活に適応できないのではないか…と恐怖している事に気付いたのでしょう。更に自分が罪人であることへの負い目もあったはずである。
レッドは3回ほど仮釈放の面談をしているが落とされた時は安堵したような顔をしていました。そしてレッドは刑務所の塀に対し『最初は憎しみ、次第に馴れ、長い年月の間に頼るようになる』と答えています。
レッドは絶望とも呼べる刑務所内での暮らしこそが自分が安心できる場所だと感じていたのでしょう。しかし終身刑とはいえ、いつか仮釈放される時がくることもレッドは悟っていました。
『ショーシャンクの空に』という物語はキリスト教神秘主義に基づいて作られています。アンディはイエス・キリストであり…レッドはアンディによって救われるというのが物語の軸となっています。

仮釈放で社会復帰したレッドは孤独の日々を過ごしていました。ブルックスと同じように自殺を考えた瞬間もあったでしょう…しかしアンディの言葉を思い出すのです。約束の地にはアンディからの手紙が隠されていました…そしてレッドは残りの人生というものを考えるのです。
必死に生きるか…必死に死ぬか…俺は生きるぞ!
希望を捨てかけていたレッドが『生きるぞ!』という未来への意志を再び手に入れたのである。これこそがアンディが起こした奇跡であり、レッドへ救いなのである。
希望はいいものだ。多分最高のものだ。
素晴らしいものは決して滅びない。
私はこの名言を聞いて…ある言葉を思い出しました。『無くしたモノは忘れた頃に戻ってくる事もあるが…捨てたモノは自分の元には戻ってこない』この『モノ』というものが『希望』ではないでしょうか…捨てさえしなければ、いつしか自分の元に『希望』は戻ってくる…私はそう信じたい。

だから!この映画はアンディの脱獄映画ではないの!レッドが希望を再び手に入れる映画なんですぅ!わかりましたか

再会


最高のカタルシスを感じるラストのアンディとレッドの再会という名シーンは実は原作では描かれておらずバスに乗ってアンディに会いに行く…という所で話は終わっていたのである。
監督のダラボンは当初は原作通りにバスのシーンをラストカットにしていたのだが…製作総指揮のリズ・グロッツァーが『小説には小説の終わり方があるように…映画には映画の終わり方がある』とダラボンに二人が再会するシーンを追撮するよう指示したのである。
この指示が後に感動の名シーンを生むことになったのです。今までの暗い映像とは違い…壮大な青空にどこまでも続く綺麗な海、そして眩しい太陽と二人の笑顔。再び希望を手に入れたレッドは最高の人生を手に入れたのである。

この映画を観て…泣くというより心が揺さぶられるような感覚になってしまうのです。なんか…自分は『デキる』というような感覚になるんですよねぇ

総括

名作中の名作である『ショーシャンクの空に』だがネット上やYouTube上でも多くの考察がされていました。中でも岡田斗司夫氏が語っていた『フィガロの結婚』が非常に面白かったので思わずYouTubeで3時間もあるオペラの『フィガロの結婚』を観てしまったほどである(笑)ちなみに観る必要はありませんので…
他にも考察記事で多く語られていた事は聖書の中に隠されていたロックハンマーであったり、リタ・ヘイワースのポスターや『救いはこの中にある』『主の裁きはくだる』といった聖書から引用された言葉などなど…本作は語りだすとどれだけでもネタはあるので、できるだけどこの記事でもあまり語られていない事を考察記事で書いたつもりです。被っていたらスミマセンね。
そして最後に…もし私が何かの罪でショーシャンク刑務所に入った時には…部屋に『えなこ』のポスターを貼りたいと思います…って所でオツカレっす!
