『ミスト』をモーっと楽しもう
おかえりなさいませ(*- -)ペコリ
『ミスト』の徹底解析 完全ネタバレとなっております
賞前のお客様はご遠慮下さいませ
本記事は 『ミスト』感想レビューとなっておりネタバレが含まれております。
本編未鑑賞の方は予備知識編『100倍楽しもう』の記事をご確認の上で再度お越しください
ミスト
2007年:アメリカ公開 2008年:日本公開 監督:フランク・ダラボン 脚本:フランク・ダラボン 原作:スティーブン・キング『霧』 製作:フランク・ダラボン、リズ・グロッツァー 製作総指揮:リチャード・サバースタイン、ボブ・ワインスタイン ハーヴェイ・ワインスタイン 出演者:トーマス・ジェーン、マーシャ・ゲイ・ハーデン ローリー・ホールデン 他 音楽:マーク・アイシャム 撮影:ロン・シュミット 編集:ハンター・M・ヴィア 製作会社:ディメイション・フィルムズ ダークウッド・プロダクションズ ワインスタイン・カンパニー 配給:MGM/ワインスタイン・カンパニー ブロードメディア・スタジオ
スティーブン・キング原作の中編小説『霧』を2007年にフランク・ダラボンが映画化。衝撃的すぎるラストに救われないという意味で映画ファンの間では鬱(うつ)映画と呼ばれるようになった作品。
ラストの展開で絶望となったデヴィットは車の中の4人を銃で殺害した後に自分も怪物に殺されることを覚悟するのだが…霧の中から現れたのは怪物を駆除して廻っていたアメリカ軍であった。あと5分希望を持っていれば4人の命は救われていた…という後味の悪いオチとなっている。
実は小説版のラストは絶望となった状況でもラジオからは希望となる放送が流れた…というオチで幕を閉じているのです。この小説版のオチに対し監督のダラボンは『もっと絶望となるオチを思いついた』とキングに提案をした事であのラストが生まれたみたいなのだ。
よくこんな残酷なオチを思いつくものだと…恐怖すら覚えてしまう。このダラボンの提案に対しキングは『なんで!このラストを思いつかなかったんだぁ!』と悔しがっていた…というエピソードを聞いたとき『このオヤジは…』と思わず笑ってしまいました。
なぜならキング自身も小説のラストはバッドエンドで考えていたのだが…あまりにも不評だったことで少しだけ希望を持てるオチに書き換えた経緯があったのだ。
しかしダラボンが提案した最高のバッドエンドでキングは『ミスト』のオチはやはりバッドエンドであると確信したみたいである。
やはり人間というのは怖い生き物で こういったラストを考える人もいれば喜んでブログ上に考察記事を書くサイコ人間もいる。怪物というのは霧の中に潜んでいた未知の生物ではなく…排他的な思想で他を受け入れようとしない人間こそが怪物だったのかもしれません…といったようにココでは『ミスト』を既に鑑賞しているという前提で記事を作成しております。ネタバレ注意となっておりますのでご了承ください。
胸糞映画だ、鬱映画だ、後味が悪い…などディスられているが、好きな映画ランキングでも上位に入ってくるあたり…みんな好きなんですよ、こういう映画を…
リーダーの選択
昔から人気のあるジャンルで私も大好きなディザスター(災害)映画。隕石落下系のアルマゲドン(1998年)やディープインパクト(1998年)、自然災害系のボルケーノ(1997年)やツイスター(1996年)、地球そのものが破壊される2012(2009年)、そして未知の生物が襲いかかってくるインディペンデンスデイ(1996年)やクローバーフィールド(2008年)などなど…偶然なのか世紀末という時期にディザスター映画が集中しているような気がするのは私だけでしょうか…更に新世紀を迎え少し落ち着いた2008年前後にもディザスター映画が多いような気がします。今回ご紹介したミストも2007年に公開されています。
人気のあるジャンルなので挙げだすとキリがなくなるのだが…数多くあるディザスター映画の中では必ずといっていいほど混乱した世界や人々を導いてくれるリーダー的存在が現れるのである。命の危険も顧みず…時には身を挺して皆を救ってくれる存在なのだ。
映画を面白くするための演出でリーダーに対抗しようとする勢力が現れて別行動をとるのだが…決まって悲惨な目に合い全滅しちゃうというのも定番中の定番。
必ずしも生き残るという訳ではないが…生き残った人はリーダーと共に行動しているのである。中でもリーダーとケンカしながらも恋愛感情が芽生える女性なんかは99%の生存率があるのではないでしょか…
ディザスター映画の中のリーダーは皆を導く存在であるため、数々の場面で選択を迫られるケースが出てくる。結果的にはリーダーが選んだ選択は正しかった…というのが定番だが『ミスト』のデヴィットが数々の場面で選んだ選択は本当に正しかったのでしょか…
間違った選択
ディザスター映画ではリーダーである主人公が選択する行動は非常に重要なのである。リーダーを信じて共に行動をしている仲間の命をも預かっている訳ですから選択ミスは仲間の死となってしまうのである。
ミストの主人公であるデヴィットがミスした最大の選択はスーパーから外に出たことである。キリスト狂信者のカーモディと対立したためスーパー内での居心地が悪くなったのは理解できるが少なくとも怪物のいる外よりもスーパーの方が安全であることが分からなかったはずはない。
結果論となってしまうがデヴィットと共にスーパーを出た他の7人は店長がスーパーに戻ったため1人は生き残ることができたが2人が怪物に殺され4人がデヴィットに銃殺されている。
車でどれくらい移動していたのかは分からないが半日と経っていないであろう。もしあのままスーパーに残っていれば半日の間に軍が救出していた可能性は非常に高いのである。
更にデヴィットは大火傷を負った青年を救うためにスーパーの隣にある薬局に医療物資を取りにいくことを提案。もちろんカーモディから反対されるがデヴィットは数人を引き連れて薬局へと向かうのである。
ここでも2人の犠牲者を出してしまった上に火傷を負った青年は薬が間に合わず息を引き取ってしまう。1人を救うために2人を犠牲にしてしまい、その1人も救えなかったという最悪の結果となってしまうのである。
他にもデヴィットの間違った選択は緊急事態の時にライトをつけるよう指示していたことでスーパー内に怪物の侵入を許してしまい多数の犠牲者を出すことになる。あとオリーが落とした拳銃を拾った事で あの最悪なラストに繋がってしまうのである。
最後に『どうせ怪物に殺されるくらいなら…』という思いで拳銃自殺を図ったことも理解できないわけではないが、まだ希望を完全に捨てさる状況ではなかったのではないでしょうか…
怪物たちに周りを囲まれているなら観念してしまうがガソリンが尽きただけなのである…というよりガソリンが尽きる前にガソリンスタンドはなかったのか…
主人公デヴィットが選択した行動は殆どが不正解だったという結果を生み出している。ではデヴィットはリーダーの選択をしなかったのか…というと私はそうは思わない。ブルース・ウィルスやスタローンやシュワルツェネッガーのようなリーダーであったとしてもデヴィットと同じ選択をしたのではないでしょうか…
怪しげな宗教おばさんの扇動を避けるために対立をしたり、薬が必要な火傷を負った青年のために危険を顧みず薬局に出向いたり、武器となる拳銃を危険覚悟で取りにいったり…と私が今まで観てきたディザスター映画の主人公同様にデヴィットが取った行動はリーダーの選択なのである。
では何故、デビットの結果は最悪のものになってしまったのか…それはデヴィットが取った選択が間違っていたのでも、リーダーとしての素養がなかったのでもなく…ただ彼は運がなかったのである。
運
考えすぎなのかもしれませんがリーダーとしての責任の重さを『ミスト』で学んだような気がします。
リアルの世界でもリーダーの行動が必ずしも良い結果となる保証は一切ないのである。デヴィットのようにリーダーの選択であったとしても失敗する可能性は十二分にあるのだ。
最大限の努力をしても最終的に運命を分けるのは『運』の強さなのかもしれません。これを言うと身も蓋もないがリアルとはそういう世界なのだ。
子供を家に残してきた女性が無事に子供と一緒に軍に保護されていたことがラストでは描かれていました…つまり彼女は生き残ったのである。
では彼女はリーダーとしての資質があったから生き残れたのか…というと私はそうは思えない。ただ彼女は運が良かっただけなのである。
運が左右するのなら努力する意味はないのでは…と思われるかもしれませんが、リーダーとは失敗した時にこそ資質が問われるものなのである。
皆を先導して進んできた道であっても運悪く先に進めない状況になってしまうこともあります。そのような時も焦らずに慌てずにBプラン・Cプランを準備しておくのがリーダーなのである。
デヴィットがリーダーとして最悪の選択をしたのは最後に『諦める』を選んでしまったこと。BプランでもCプランでもなくリーダーとしての責任を放棄することをデヴィットは選んでしまったのである。どこかの漫画にもありましたよね…『諦めたら…そこで試合終了です』このセリフは本当に奥が深い(笑)
ここでまさかの安西先生の名セリフ!本当に諦めたら終わりなんですよ…成功の秘訣はできるまで続けることなんです。
僕を怪物に殺させないで
ビリーが父親に泣きながら頼んだ『僕を怪物に殺させないで』という言葉。この言葉がデヴィットの最悪な行動を生むことになるのだが…ビリーが言った『怪物』とはいったい誰の事を指していたのでしょうか…
もちろん霧の中に潜む未知の生物の事を指しているのは間違いないが…同時に理性を失ってしまい狂気じみた行動をした人間のことも『怪物』と呼んでいたのでしょう
ビリーがデヴィットにお願いをしたのは軍人のジェサップ二等兵が生贄として外に放り出された後である。今まで何とか人間として理性を保っていたが狂信者カーモディの扇動によりスーパー内の人間は怪物のような行動をとり始めたのである。
集団心理である内集団バイアスが悪い方向に働いてしまいジェサップ二等兵を包丁で腹を刺した後に担いで外に放り出すという悪魔の所業のような行動にでてしまうのである。
集団で行ったことで責任が分散されるため過激な行動を取ってしまうのが集団心理の怖いところでビリーがその姿を『怪物』と例えてしまうのも仕方がないことなのである。ただデヴィットはビリーの言葉を『言葉通り』にしか理解していなかったのが悲劇を生んだ原因なのかもしれません。
あの惨劇は完全にトラウマ級の出来事でしょうね…怪物と例えるのも分かります。
総括
最悪のラストの展開に鬱映画と称されている『ミスト』ではあるが…なぜ これほどまでに後味が悪くなるのだろうか…それは『ミスト』が人間の心理を鋭く突いていて、生きてきた中でどこか身に覚えのある心情を描いているからではないでしょうか。
例えるなら一つの組織の中で複数の派閥が生まれてくることはよくある状況ではありませんか…更に自分が所属しているグループを優遇してしまうことは集団心理として当然の行動でありますし、逆を言うなら他グループを敵視してしまうのも集団心理なのである。
『ミスト』はどこか違う集団の争いを見ているようで実は身に覚えのあるような争いを見続けされる映画なのである。そして最後にデヴィットが『諦める』という選択も自分に照らしてみれば身に覚えがある方は多いのではないでしょうか…
自分が過去に取ってきた選択に似ている気がするからこそ余計に胸糞悪く感じてしまうのかもしれません。原作者のキングや監督のダラボンの狙いはそこにあるのでしょう。
それにしても一つ気になるのがデヴィットのお隣さんである弁護士のノートンさんの行方。デヴィットの反対を無視して外に助けを呼びに行ったのだが消息が不明になっているのである
デヴィットの取った行動が全て失敗に終わっているという展開からノートンさんは無事に辿りつけた…という結果だとしても不思議ではない。ただ分かっているのは同伴したロープを腰に付けた男性だけは下半身だけとなって帰ってきたことである。
もしかするとアメリカ軍と出会いスーパーに救助を待っている人たちがいる事を伝えた事で救出軍がスーパーに向かっている時に最悪な状況となったデヴィットと遭遇していたのなら…もっと胸糞となってしまう。
考えれば考えるほど最悪な状況が思いつく作品で…デヴィッドは巨大な生物を目の辺りにした事で絶望してしまうのだが…ラストでは意外にも簡単に軍人が火炎放射器で怪物たちを駆除しまくっているのである。案外と弱かったのかも…って所でオツカレっす!