『ミスト』を100倍楽しもう
おはこんばんちわ(-ω-)/
管理人軍師かんべえです。
鑑賞前の予備知識!映画はもっと面白くなる。今回の作品はコチラ!
『ミスト』鑑賞されている方は
鑑賞後レビュー『モーっと楽しもう』にどうぞ
目次
ミスト
僕を怪物に殺させないで…
絶対に、何があっても…
あらすじ
2007年:アメリカ公開 2008年:日本公開 監督:フランク・ダラボン 脚本:フランク・ダラボン 原作:スティーブン・キング『霧』 製作:フランク・ダラボン、リズ・グロッツァー 製作総指揮:リチャード・サバースタイン、ボブ・ワインスタイン ハーヴェイ・ワインスタイン 出演者:トーマス・ジェーン、マーシャ・ゲイ・ハーデン ローリー・ホールデン 他 音楽:マーク・アイシャム 撮影:ロン・シュミット 編集:ハンター・M・ヴィア 製作会社:ディメイション・フィルムズ ダークウッド・プロダクションズ ワインスタイン・カンパニー 配給:MGM/ワインスタイン・カンパニー ブロードメディア・スタジオ
原作はモダン・ホラー小説の巨匠スティーブン・キングが著した中編小説の『霧』。スティーブン・キングは作品の殆どが映画化されているほど世界で最も有名な小説家でもあります、その中で3作品も監督を務めているのが今回紹介する『ミスト』の監督のフランク・ダラボン氏。
フランクはキングが書いた中編小説『霧』を初めて読んだ際に この作品で映画監督デビューをしようと考えていたみたいだが結局フランクは同じくキングの中編小説であった『刑務所のリタ・ヘイワース』を原作とした『ショーシャンクの空に』(1994年)でデビューすることになります。
映画史に残るほどの感動の名作となった『ショーシャンクの空に』が完成した後にフランクは再び『霧』の映画化に興味を示すが企画が中々と進まずに…1999年には再びキング著の同名小説『グリーンマイル』を映画化。アカデミー作品賞にノミネートされるほど世間からも注目を浴びる感動作品となる。
そして2004年に念願であった『霧』の映画化『ミスト』が公開。世界中が感動し涙した過去2作でコンビを組んだキングとフランクが3作目として製作したのが今までとは真逆を行く…感動も涙も一切ない、後に鬱(うつ)映画の代表とも呼ばれるようになった胸糞映画(良い意味で…)の『ミスト』なのである。
胸糞映画というのは面白くない映画という意味ではなく…救われない映画という一つのジャンル…よく映画のラストはハッピーエンドの場合が多く鑑賞後にはスッキリとした気持ちになれるのだが胸糞映画は鑑賞後には『モヤモヤ』という気持ちになってしまうのが特徴。簡単に言い換えるとバッドエンドという事だ。
だからこそ『ミスト』は賛否両論となり好き嫌いがハッキリと別れる作品となっている。しかも好きと答えた方でも『こういう衝撃的なラストは好きだが二度と見たくない』といった意見も出るほどである。
本作はカテゴリーとしてはモンスターパニック映画になるのだが本当に怖いのはモンスターではなく人間の中に潜む集団心理であったり敵対するグループへの攻撃であったりします。突如としてパニックに陥った時に本当に人間は助け合うことができるのか…利己的な考え方になってしまうのか…人の本性は『性善説』なのか『性悪説』なのかという疑問を突き付けられる作品となっています。
本記事を見て『ミスト』を鑑賞しようと考えている方に先に忠告しておきます。現在でストレスを感じている方や不安を募らせている方は心が落ち着いてから鑑賞することをオススメします。責任は負いかねますので自己責任でご鑑賞下さい…少しの知識だけで映画はもっと面白くなる!『ミスト』を100倍楽しもう!
ちなみに私はラストの衝撃さに…意味が分からなくなってしまい思考が停止してしまいました。
集団心理
集団心理とは…
集団心理とは?意味と具体例、メリット・デメリットについて …
人が集まった時に生じる集団特有(一人の時とは異なる)の心理状態。社会的に望ましい行動が促進されるなどといった良い方向に作用することが期待される反面、合理的な判断が難しくなり極端な行動を引き起こしたりする場合もある。
『ミスト』はジャンル的にはモンスター・パニック映画というカテゴリーに入るがさすがモダン・ホラーの巨匠スティーヴン・キングの作品とあって『怖い』という感情も一筋縄に表現していないのである。
これを書いてしまうと『ネタバレ』となってしまうが本作で感じる恐怖の対象は未知の生物ではなくパニック状態に陥った時の人間の集団心理なのである。
集団心理にはメリットとデメリットが存在していてチームの結束力が高まるとか、善意の行為に積極的に取り組みやすくなる…といった良い影響を与えることも期待できるのだが…
デメリットとしては集団の中の一人に紛れてしまうため匿名性が高まり自己の言動に対する責任感が薄れてしまうのである。このことにより社会的モラルが低下しやすくなる傾向がある。SNSなどでの誹謗中傷コメントが分かりやすい実例といえるでしょう。
集団だと誰の責任か分からなくなるため過激な言動が目立つようになってくるのである。また集団という責任が分散される状況下では人は攻撃的になりやすいといったデータもあるみたいです。
更に集団の中にいると被暗示性(暗示のかかりやすさ)が高まってしまう傾向があり、『周りがしているから…そうなんだろう』といった、その場の雰囲気に従った言動を取りやすいとも言われています。
そして大勢でいると自分が強くなったという錯覚を起こしやすく、気が大きくなってしまうことも挙げられています。影響力の高い人物と行動を共にしているだけで自分も偉くなったと勘違いしてしまうのである。
集団心理にはメリットもデメリットもあるのだが…もちろん『ミスト』ではデメリットの方が発動してしまうのである。街は謎のミストに包まれてしまい、霧の中には未知の生物が潜んでいる。次々と襲い掛かってくる謎の生物にスーパーに閉じ込められた人間は集団パニックを起こしてしまうのである。
集団パニック
人は危機的状況に陥ると説明のつかない行動を起こしてしまうことがあります。その状況下での行動としては不適切であり、マイナスに作用することが多く、更に危機的状況を拡大させてしまう恐れがあります。このような状況を『パニック』といいます。
パニックの発生については明確に解明されていないのだが…引き起こす心理状態としては次の3つの影響があると考えられています。
①危機的状況に陥り、脳の処理能力を超える状況
②強いストレス下にさらされた事で合理的な判断ができない状況
③ストレスからの回避欲求が高まった状況
まさに映画『ミスト』におけるスーパーでの状況が『パニック』と呼ばれる状況になっているのである。謎の霧に包まれ、未知の生物に襲われるという危機的状況は脳の処理能力を完全に超えていて…正確な判断を鈍らせる事になりますし…もちろん この状況から逃げ出したいと誰もが思うはずである。
更に集団内で『パニック』が引き起こされると環境によっては周囲の人たちに伝染する可能性も高くなってくるみたいである。この現象を『集団パニック』と呼んでいるのである
『集団パニック』は日本でも珍しくなく、2014年 福岡で一人の女子生徒が叫び声をあげたため、心配になって様子を見に来た生徒たちが次々と同様の症状を発し、女子生徒26人が体調を崩すという事例もある。
災害時や群衆が集まる場で、この『集団パニック』が発生すると社会基盤を崩壊するモラルの低下に繋がっていく可能性が非常に高くなると言われています。よく映画などでも描かれることがあるが、不測の緊急事態になると街の暴徒化が起こる…といったように人間は『パニック』に陥ると利己的な考え方になってしまうのである。
非常に怖い集団パニックではあるが発生を低下させる最も有効な手段は『正しい情報』と『希望』を与えてやることである。
例えば九州で大地震が発生して街が崩壊したとしても…東京や大阪は被害がないという情報が入ってくれば、次期に救助が来るという希望が持てるのである。この『情報』が途絶えると人は不安が募りストレスとなってくるのである。
謎の霧に包まれ…スーパー内で動けなくなった群衆。更に昨晩の嵐の影響で停電しているためラジオが聞けないという状況なのである。つまり一切の『情報』が入ってこないのである。この霧は近辺だけなのか…アメリカ全体なのか…いや全世界が包まれているのか…軍は動いているのか…機能していないのではないか…もしかすると生き残りは私達だけなのか…
集団パニックを引き起こす最悪な状況が揃っている中で人々はどのような行動を選択をしていくのか…果たして その選択は正しいのか…『ミスト』で描かれている恐怖は人間の心理の奥底に眠る悪魔がパニックによって目覚めてしまうところにあります。最悪の展開に最悪のラスト…どうしてココまで最悪な出来事を思いつく事ができるのか…スティーブン・キングとフランク・ダラボンが一番怖いのかもしれません(笑)
集団だからこそ間違った選択をしてしまう事ってあるのよねぇ…しかも誰もその間違いに気付かないという最悪な状況に…こわっ
リーダーシップ
映画の世界ではパニック時に必ず登場するのがリーダー的存在の人物。主人公である場合が多く、私の勝手なイメージになるがスタローンやシュワちゃんやブルース・ウィルスのような筋肉隆々な人を思い描いてしまいます。このイケメンリーダーが数々の困難を乗り越え皆を扇動し脱出へと導いてくれる…といった展開になるのがパニック映画の定石といってもいいでしょう。
言い換えるならばリーダーに歯向かって別行動を起こしたグループは散々な目に合う…というのもパニック映画での『あるある』となっている。つまりリーダーとは正しい選択をしていくものなのである。
『ミスト』の主人公のデヴィット。イケメンで筋肉隆々とリーダーの素質は十分である。子供想いで正義感があり即決で行動する事ができる。文句なしの我らを導いてくれるリーダーであることは間違いない。しかし誰が見てもリーダーであるデヴィットに対抗して徒党を組もうとしている人物が二人もいるのである
デヴィットの隣人である弁護士のノートンと狂信的なキリスト教信者のカモーディの二人。
ノートンは怪物の存在を認めておらず外に救援を求めることこそが必要な事だと主張している。普通に考えればノートンの考えが正しいのかもしれないが霧の中には未知の怪物が確実にいるのである。
狂信者のカモーディは怪物の存在は神が人間に罰を与えているのだと主張。スーパーの中の人々は誰も彼女の言う事を信じていないのだが…彼女は次々とこれから起こる展開を予言しているのである。
内集団・外集団バイアス
不測の事態となり窮地に落とされた状況なら本来は一致団結して問題に立ち向かいたい所なのだがスーパー内の人々は3つの勢力に分断されてしまいます。ここでも人間の怖い集団心理が『ミスト』では描かれているのだが…人間は自分が所属しているグループの人を優遇する傾向があるのです。これを内集団バイアスと呼んでいるのに対し自分が所属していない他グループに対して敵視する傾向のことを外集団バイアスと呼んでいます。
内集団バイアスにもメリット・デメリットが存在していて、チームの結束力という点ではかなりの効果に期待が持てるのだがバイアスが行き過ぎると自分が所属していないグループへの敵視が過度に強くなる傾向があります。宗教戦争などが具体的な例で他教を異教として扱い粛清を加えてしまったのは内集団・外集団のバイアスが極端に振り切ったことが原因だと言われています。
身近な集団バイアスだと阪神ファンがやたらと巨人ファンに対し敵対心を抱いている…みたいな(笑)
地獄に堕ちろ
序盤の序盤で、娘と息子を家に残したままだから家まで送ってほしいと願っていた女性が吐き捨てた『みんな地獄に堕ちろ』という強烈な捨てセリフ。確かに彼女の助けに対し冷たい対応だったのかもしれないが、まだあの状況で外に出ていくのは無謀といえる。
実際に霧の中には未知の生物が潜んでいて次々に人間を襲っていたことを考えれば彼女に付き添わなかった事は正しい選択なのかもしれません。それにしても『地獄に堕ちろ』はありませんよね…
自分が同じ状況にいたとしても『無理ですねぇ』と断りそうです。
『ミスト』を楽しむポイント
モダンホラーの巨匠である小説家スティーブン・キングが1980年に出版した中編小説『霧』を2007年に映画化したのが今回初回した『ミスト』。衝撃のラストに賛否両論となってしまった本作だが実はスティーブン・キングが描いた小説『霧』とはラストの展開が改編されているのである。
監督のフランク・ダラボンはキングに了承を得て映画版ならではのラストを思いついたみたいであるが…この時キングは『なぜ…このラストを思いつかなかったのだろう』と嘆いていたというエピソードがある。
この改編のおかげで『ミスト』はいまだに映画ファンの間では考察が繰り返し行われる鬱(うつ)映画となったのである。この衝撃のラストを迎えるまでに主人公デヴィットがココまでに選択した数々の行動を注視して欲しい。果たして彼は正しい選択をしたのか…少しの知識だけで映画はもっと面白くなる!『ミスト』を100倍楽しもう!
それでは素敵な映画の世界へ行ってらっしゃいませ