『マトリックス トリロジー』をモーっと楽しもう

おかえりなさいませ(*- -)ペコリ
『マトリックス トリロジー』の
徹底解析 完全ネタバレとなっております
賞前のお客様はご遠慮下さいませ
本記事は 『マトリックス トリロジー』 の感想レビューとなっておりネタバレが含まれております。
本編未鑑賞の方は予備知識編『100倍楽しもう』の記事をご確認の上で再度お越しください
目次
マトリックス トリロジー

1999年~2003年:アメリカ公開、日本公開 監督:ウォシャウスキー兄弟 脚本:ラリー・ウォシャウスキー アンディ・ウォシャウスキー 製作:ジョエル・シルバー 製作総指揮:バリー・M・オズボーン、アンドリュー・メイソン ラリー・ウォシャウスキー、アーウィン・ストフ アンディ・ウォシャウスキー 他 出演者:キアヌ・リーブス、ローレンス・フィッシュバーン キャリー=アン・モス、ヒューゴ・ウィーヴィング 他 音楽:ドン・デイヴィス、ロブ・ド―ガン、チノ・モレノ ジャック・デンジャーズ、ハイブ 他 撮影:ビル・ポープ 編集:ザック・ステンバーグ 製作会社:ヴィレッジ・ロードショー・ピクチャーズ シルバー・ピクチャーズ 配給:ワーナーブラザース
『マトリックス』3部作 1999年に1作目が公開された後に2003年に2作目『リローデッド』その半年後に3作目『レボリューションズ』が公開され物語は完結となる。
2021年に4作目となる『レザレクションズ』が公開された事で復習という意味で再び観直した方は多いのではないでしょうか…私もその一人でございます。18年の時を経て『マトリックス トリロジー』を観直した時に当時の私は物語の半分も理解できていなかったことに気付かされました。
唐突だが 2020年調べによると…パソコンの普及率は70%を超えスマートフォンは67%を超えている。年代別に分けると30代までがほぼ100%に近く40代が96% 50代でも90%を超える人たちが何かしらの通信端末を利用している事になります。
何が言いたいのかというと、現代に於いては殆どの人が何かしらのコンピューターと共に生活をしているという事である。
しかしマトリックスが公開されていた2000年前後ではインターネットが繋がるパソコンの普及率は19.6%にしか至っておらず もちろんスマホなんてまだ存在していなかったので一般の人がコンピューターと触れ合うということは生活の中で まず考えられなかった…という時代でした
この話を前提とした上で『マトリックス』とはどのような映画だったのかを一言で表現すると
マトリックスという『仮想現実』の世界を
最新版に『アップロード』する物語
この文言を読んで『あぁ~なるほど』と殆どの方がマトリックスの概要を理解できたと思われますが…2000年前後という時代では『仮想現実?』『アップロード??』となってくるわけである。
パソコンに対しある程度の知識を持った人でないと理解できないワードがバンバンと飛び交うストーリーに殆どの方が置いていかれる状態になる…という当時としてはあまりにも画期的すぎる作品で2020年を過ぎてやっと時代がマトリックスに追いついてきたのではないでしょうか…
正直言うと当時の私は本作の内容がチンプンカンプンだったため1回だけの鑑賞に終わり今となっては内容すらも殆ど忘れかけていた所に新作の『レザレクションズ』の公開もあり…更にリクエストもあった事でトリロジー(3部作)を観直すことをしたのだが…率直な感想は『スゲェー』の一言に尽きてしまった。
2003年には殆ど頭に入ってこなかった内容がパソコンやスマホを常に扱うようになった今ではスンナリと理解できてしまう。私が感じた『スゲェ―』はこの映画を2000年前後に公開したウォシャウスキー兄弟のチャレンジ精神に対してである。
今回は3部作を一気に徹底考察していくのだが…なぜ記事を3つに分けなかったかの理由は3部作を持って1つのストーリーとなっていたからである。2-3作目は続編という形ではなく1つのストーリーを3つに区切っただけなので今回の記事では1本にまとめてご紹介したいと思います…少しの知識だけで映画はもっと面白くなる!『マトリックス トリロジー 』を100倍楽しもう!

べ…べつに手を抜いた訳じゃないわよぉん。一つにまとめた方が楽だったからよぉ (゚∀゚)ハッ!
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自由意志
『これは最後のチャンスだ。先に進めば、もう戻れない。青い薬を飲めば、お話は終わる。君はベッドで目を覚ます。好きなようにすればいい。赤い薬を飲めば、君は不思議の国にとどまり、私がウサギの穴の奥底を見せてあげよう』
モーフィアスによって与えられた選択肢は『マトリックスの世界に戻るか』『現実の世界に目覚めるか』の2択。ネオは自分の意思により赤い薬『現実の世界』を選択しました。すなわち『自由意志』である。
自由意志とは…
自由意志 – Wikipedia
何からも影響を受けずに自らの考えで『何かを成そうとする気持ち』を自由に生み出す能力がある…とする仮説
ここで仮説を強調した理由としては 自由意志は存在するのか否か…は現在でも論争されていて かなり難しい哲学的な話になるので割愛させてもらうが『マトリックス トリロジー』に於いて最大のテーマとして掲げられたのが『自由意志』でありました。
選択肢
マトリックス3部作に於いてネオは数々の選択に迫られる事になります。『白兎のタトゥーをいれた女性の誘いに乗るのか…乗らないのか…』『赤い薬を飲むのか…青の薬を飲むのか…』『モーフィアスの命を助けに行くのか…行かないのか…』
これらは全てネオの自由意思により『白兎タトゥーの女性の誘いに乗り』『現実に目覚める赤い薬を選び』『モーフィアスの命を助ける』という選択をした訳である。なぜ…映画の中でネオに選択をさせるというシーンをいくつも入れているのかというと…
AIは完璧だと思われた仮想世界『マトリックス』を創ったが失敗に終わってしまう。しかし仮想世界に住む人間に『選択をさせる』という行動を与えると99.9%の人間が受け入れてくれて世界が安定をした
このように人間といういうのは敷かれたレールの上を歩いているだけでは不満が募ってしまう生き物で自らの意思を持って選んだ道を歩む事で満足感や幸福感が得られるのである。
ネオは自らの意思で現実世界に目覚め数々の選択を乗り越え人類を機械から解放する救世主へと成長していく過程が描かれているのが1作目の『マトリックス』である。
運命
1作目のマトリックスでは『自由意志』による選択によって救世主へと成長していくネオが描かれていたのだが…2作目の『リローデッド』ではマトリックスの世界を創ったアーキテクトが現れ『全ては私がプログラミングした出来事であり…私のコントロール通りに君は動いてくれた…』と衝撃的な事実を告げるのである。
1作目では『自由意志』を肯定しておきながら2作目の『リローデッド』で『自由意志など存在しない』と否定するという大ドンデン返しを喰らってしまう。
白兎の女性を追いかけていったのも…赤い薬を選んだのも…モーフィアスを助けに行ったのも…実はネオの意思ではなく既にプログラミングされていたことを ただネオが実行していたことが判明するのである。
アップデート
ネオの全ての行動がアーキテクトによるプログラムによるものであったら…ネオという存在は…救世主とはどのような役割を持っているのか…衝撃の事実がアーキテクトの口から明かされたのである。
アーキテクトは仮想現実『マトリックス』の完璧化を目指していたのだが…中にはマトリックスを受け入れない者が現れてくる。分かりやすくパソコンで例えるなら『バグ』である。
この様に次々と生まれてくる『バグ』は一旦はパソコンの中から排除させられ一ヵ所に保管されるのである。マトリックスの世界でいうと現実世界に目覚めた人間が集まる場所『ザイオン』なのである。
では救世主の役割というのは…『マトリックスの世界』にとっては『バグ』である人間が一定数に集まった時にコンピューターをアップデートさせるためのシステム…これが『救世主』だったわけです。
『調和』か『愛』か
ネオは最後の選択を迫られる事になります。アーキテクトにより与えられた選択は『ネオは助かるが人類は全て滅びる』人類が滅びるという事はマトリックス自体も意味がなくなるという事である。そしてもう一つの選択は『ネオはアップデートのため吸収され消失するが人類はマトリックスの中で生き続ける』
更にココで明かされる衝撃の事実が…アップデートは今回で6回目になるという事。過去に5人いた救世主たちは人類滅亡の危機を防ぐために自らがシステムの一部として吸収される方を選択していたのである。もちろんアーキテクトは救世主たちがアップデートを選択するようにプログラムしていたのだが…
ネオが選択したのは『人類滅亡』だったのです。それは今まさに恋人のトリニティが命を落とす危機に陥っていて自分が消失するとトリニティを救い出す事ができない…という理由。ネオは『世界の調和』よりも『トリニティへの愛』を選択した事になるのです。
自由意志の是非
最後の選択でネオはアーキテクトがプログラミングしていた『調和』という選択肢ではなく『愛』を選びました。これこそが『マトリックス トリロジー』の最大のテーマだったのです
確かに”釈迦の掌”みたいに誰かに転がされている事もあるが…全てをコントロールされている訳ではない。
では貴方が愛する人は誰かに制御されて愛するようになったのですか?自分を愛してくれる人は誰かのプログラミングによって愛してくれるのですか?あなたの子供に対する愛は自分の意思ではないのですか?『愛』だけではなく人間が産み出す『感情』は自分以外は生み出せないのである。
最後に愛は勝つ
アーキテクトの選択に『人類滅亡』を選んでしまった事でマシン軍によるザイオン侵攻の一斉攻撃が始まり窮地に陥ってしまう…というのが3作目『レボリューションズ』の主な内容となっている。あまりメッセージ的なものはなく人類とロボットとの最終戦争が描かれているのでロボットアクションが好きな方には必見だと思われます。
最後にネオはエージェント・スミスを倒す条件として人類を救う事をマシン・シティの支配者であるデウス・エクス・マキナと約束していました。そのためにはネオを吸収しアップロードする必要があります。今まで過去の救世主が選択した『世界の調和』ではなく『愛』を選んだネオを吸収した事でバージョン7.0のマトリックスの世界には『愛』が溢れる世界となりました…とさ

あらすじと考察を踏まえて書いてみたわぁ♡結構時間が掛かってしまったけど…やっぱり最後に勝つのは『愛』よねぇ

エージェント・スミス
『マトリックス』の中で登場してくる敵役のエージェント・スミス。1作目に関しては非常に分かりやすい設定で仮想現実『マトリックス』の中でバグ化してしまった人物をマトリックスから排除するのを目的とした役割を持っていたのだが…
1作目のラストでネオがスミスの身体に侵入した事でスミスの身体は崩壊してしまう。
2作目の『リローデッド』ではネオが身体に侵入したことが原因でネオの能力のデータが上書きされバージョンアップすることになり これによってマトリックスの世界から解放されるのだが…
この辺りからエージェント・スミスの理解が難しくなってくるので補足していきたいと思います。
エージェント・スミスはパワーアップするのだがマトリックスの世界から解放された事でマトリックスの世界で『バグ化した人間の排除』という目的まで失ってしまいます。
目的のないプログラムはマシン・シティの支配者から強制的に削除されるため新たな目的を立てるのです。
『マトリックスと現実世界の支配』そのため人類を解放しようとするネオやザイオンが邪魔になってくる訳ですし…マトリックスのプログラムであった預言者オラクルを吸収し取り組んでしまいます。
エージェント・スミスはネオからもマシン・シティからも脅威となった事でネオはスミスを倒す条件としてマシン・シティに人類への攻撃をやめる事を提案したのです。この条件によりマシンの侵攻は止まり平和が訪れるのですが…
ネオを取り込んだエージェント・スミスが突然に光を放ち爆発するのだが…これがあまりにも説明がなさ過ぎて理解するのに相当な時間が掛かりました。
ネオはマトリックスの世界に侵入するためにコンピューターに接続されていた訳です。つまりマシン・シティと繋がっていた状態をエージェント・スミスが吸収してしまったのです。
そのためスミスとマシン・シティがネオを通して接続された事となってしまい…マシン・シティがスミスのデータを削除した事によりスミスは光を放ち爆発したのです。
確かに説明口調な演出になってしまうとシラケてしまうが…さすがに分かりにくいですって(笑)

エージェント・スミスの立ち位置がよく分からなかったのよぉねぇ…分かってしまえば何ちゃないんだけど…説明がなさすぎるのよぉ!

総括

『マトリックス トリロジー』を再び鑑賞した際に思い出したのが高校生の時に習ったデカルトの『我思う、故に我あり』という言葉。
今、自分が見ている物は本当に実在するのか…もしかすると夢なのか…だったら私自身も実在していないのかもしれない
荘子が説いた夢か現実か証明できるものはない という『胡蝶の夢』に通じるものがあるがデカルトは一つの答えとして『自身の存在を疑っている事こそが自身が存在している証明である』と唱えたのである。
あなたが体験している出来事が存在しているのかは証明できないが あなたが感じた感覚は本物であり 確実にあなたが存在している証明になっている。少し飛躍しすぎるかもしれませんが世界の中心は私という意味にも捉える事ができ『私が体験している人生は私が主人公である』と感じてしまいました。
哲学的な思想がふんだんに使われているマトリックスなだけに…私の眠っていた中二病が覚醒しそうで恐い作品でもありました。本作を記事にする上で調べていたら とんでもないものを発見したのが…
ウォシャウスキー兄弟は本作に『本当の自分への解放』という意味を込めていた事を後に発表していいました。マトリックス公開時はウォシャウスキー兄弟として活動していたのだが現在はウォシャウスキー姉妹として活動をしている。実はトランスジェンダーであった二人は共に性別適合手術を受け事実上の姉妹になった訳である。最後に二人の現在の写真を見て頂いて……………って所でオツカレっす!
