『許されざる者』をモーっと楽しもう
おかえりなさいませ(*- -)ペコリ
『許されざる者』の
徹底解析 完全ネタバレとなっております
賞前のお客様はご遠慮下さいませ
本記事は 『許されざる者』 の感想レビューとなっておりネタバレが含まれております。
本編未鑑賞の方は予備知識編『100倍楽しもう』の記事をご確認の上で再度お越しください
目次
許されざる者
1992年:アメリカ公開 1993年:日本公開 監督:クリント・イーストウッド 脚本:デヴィッド・ウェップ・ピープルズ 製作:クリント・イーストウッド 製作総指揮:デヴィッド・ヴァルデス 出演者:クリント・イーストウッド、モーガン・フリーマン ジーン・ハックマン、リチャード・ハリス 音楽:レニー・ニーハウス 撮影:ジャック・N・グリーン 編集:ジョエル・コックス 配給:ワーナーブラザーズ
西部劇映画というジャンルで一つの伝説を作った男クリント・イーストウッド。ドル箱3部作(荒野の用心棒、夕陽のガンマン、続・夕陽のガンマン)と呼ばれる名作以外にも監督兼主演を務めた荒野のストレンジャーやアウトローといった西部劇作品にも多数に渡り携わっている。
西部劇映画には無くてなならない存在となったクリント・イーストウッドが『最後の西部劇』と称して製作・監督・主演を務めたのが1992年公開の『許されざる者』。公開時には映画業界で物議を呼んだ作品でもあり、関係者の中では『イーストウッドが西部劇を殺した』という声も上がったそうだ。皆さんは本作を鑑賞してどう感じたでしょうか…主役の元伝説級の殺し屋は現在は年老いていて馬から蹴落とされてしまう始末、遠目から敵を狙撃しても弾は中々当たらない、目的の男はクソをしている時に殺され、人を殺したことに怖気づいたり…泣きわめいたり…とにかく『許されざる者』に出てくるガンマンは恰好良くないのであるのだが…何故か非常に人間臭いのである。
本作で登場する人間は全員が恰好悪いのである。主役も、保安官も、相棒も若いガンマンも…1970年頃の西部劇映画の描き方とは違い全員がリアルな人間をしているのである。そして分かりやすい役柄の人物が一人もいない。西部劇映画と云えば主人公は正義であり敵役は悪といった勧善懲悪が骨格としてあるのだが『許されざる者』の中では主人公は金のために人を殺す決意をした正義とは遠い存在であり、保安官も街の治安を守ってはいるが実は独裁政治を行っている、どっちつかずの男なのである。
主人公を『正義目線』で見てしまうため勘違いしてしまうのだが主人公は決して正義ではなく…対立する保安官も決して悪ではない。本作は登場人物全員が恰好悪いのと同時に全員の立場が中途半端なのである。でもコレって当たり前の事ですよね…私の周りの中でも完璧な正義人間はいないし、完全に悪の人間もいない、誰もが正義と悪を両方同時に持っている。西部開拓時代でも人間の本質は今の時代と何も変わっていないのではないでしょうか…『イーストウッドが西部劇を殺した』確かに本作はイメージしていた西部開拓時代がブッ壊された様な気がします。勧善懲悪なんて…だけではなくブッ壊されたモノとは…一体何だったのでしょうか…といったようにココでは『許されざる者』を既に鑑賞しているという前提で記事を作成しております。ネタバレ注意となっておりますのでご了承ください
こんなに弾が当たらない西部劇は観た事がない…という程に弾が当たらないんですよ(笑)
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全ては虚構
西部開拓時代では『ダイムノベル』という安価で購入できる小説が流行していました。作中でも作家であるブーシャンプはイングリッシュ・ボブの伝記『死の侯爵』を書き上げるため同行取材を行っていたが…保安官のリトル・ビルによって小説の中に描かれていた伝説のガンマンのイメージは都合良く作られた虚構であることが明かされてしまいます。
作家の方が小説を面白くするために真実を誇張したのか…ガンマンの方が虚勢を張るために大風呂敷を広げたのか…おそらく両方なのでしょうが…事実は小説の中で描いたイメージとは相当にかけ離れていたのです。でもこの演出って要りますか?となってきますよね。西部劇が好きな人の殆どは主人公の強さに憧れているのではないでしょうか…いや実は二丁拳銃と呼ばれていたのはチ○コが拳銃以上にデカかったから…なんて事を聞かされたら日にはどうしていいものやら…現実はそうなのかもしれませんが夢をブチ壊す必要ってあったのでしょうか…いや、あったのです…クリント・イーストウッドが自ら作り上げたからこそブッ壊さなければいけない理由が…
アメリカ=西部劇
鑑賞前の予備知識ブログ記事『許されざる者を100倍楽しもう』でも書いた様に西部劇こそ映画の歴史でもありアメリカの開拓スピリッツでもあるフロンティア精神が全て西部劇映画の中に集約されていると言っても過言ではありません。クリント・イーストウッドは『西部劇映画』の真実を挙げる事でアメリカという国こそが虚構である…と訴えたかったように私は感じました。
アメリカの虚構
1992年に公開された『許されざる者』つまり製作されたのは1990年~1991年となってくる。この頃に世界を騒がせていたのは『湾岸戦争』。イラクがクウェートに侵攻した事を受け、米軍主導の多国籍軍がイラクに空爆をした事で開戦となりました。大義名分としてはイラクへの正義の鉄槌となっているが…石油絡みの利権が大きな理由であった事は明白である。しかしマスコミには大々的にアメリカは自らの正義を主張している辺りはイングリッシュ・ボブを滅多打ちにしたシーンと重なってしまう。
※あくまでも私個人の意見であり、クリント・イーストウッドがこう語っていた…という訳ではない事はご了承ください。勝手な私の妄想として捉えて下さい。
大義名分があったのかは不明ではあるが中国人を大量に殺したことで今の地位を手に入れたイングリッシュ・ボブは次なる賞金稼ぎのためにビック・ウィスキーに訪れるのだが…保安官のリトル・ビルによって銃を取り上げられ半殺しの目にあってしまう
イングリッシュ・ボムが湾岸戦争でクウェートに侵攻したイラクとするなら…武器を取り上げられた無抵抗の男をタコ殴りにする保安官はアメリカに見えてしまう。圧倒的な差がありながらイラク国に容赦なく爆弾を投下したアメリカの姿が重なってしまうのである。偶然なのか…狙っていたのかは分からないが、この無抵抗で戦意喪失した男に対し偽りの正義という名の暴行を加え続けるシーンでは…アメリカ国旗が多くのカットで映り込んでいます。
私の感想ではあるが…イーストウッドは本作を通して自らの利権のために湾岸戦争に介入したアメリカ国が掲げる正義こそが虚構であり、それはまさに嘘を並べて作り上げてきた西部劇のようなものだ…と主張しているように感じたのである。この訴えをするためにクリント・イーストウッドは自ら作り上げた『西部劇を殺した』のではないでしょうか…
考えすぎかな…かなり中二病的な発想になっているが…こういう事を考えている時ってワクワクしますよねぇ。
許される資格がない者
『許されざる者』とは…『許されない者』ではなく『許される資格がない者』と私は解釈しました。クリント・イーストウッドが演じたウィリアム・マニーが行ってきた数々の非道の罪に対し被害者や第三者が『許す・許さない』ではなくマニー本人が自ら『自分には許される資格がない者』であると主張しているように聞こえてきます。マニーは亡くなった奥さんのおかげで真人間になれた…とカウボーイを金のために殺す道中で語っていたように本質は何も変わっていなかったのです。
子供のためと云えば聞こえは良いのかもしれませんが所詮は人殺し…殺しに良いも悪いもなく、殺しはその人の過去も未来も全て奪ってしまうからである。それを肯定してしまう事ほど恐ろしい事はありません。しかし西部開拓時代では全ての殺人に理由を付けて自分を肯定しながら平気で人を傷つける時代だったのです。
『許されざる者』は決して主人公のウィリアム・マニーだけではありません。殆どの登場人物が『許される資格を持っていない人物』なのである。一見は被害者と思われる娼婦たちもカウボーイに懸賞金をかけるという非道な事をやっていますし…しかも彼女たちは悪い事だとは微塵にも感じていません。娼婦を傷つけたカウボーイは言うまでもなく、酒屋の店主も…中国人を大量に殺したイングリッシュ・ボブも、作家のブーシャンプも小説を書くために賞金稼ぎの手伝いをしていたり…相棒のネッドもキッドも登場してくる人物は全員が『許されざる者』なのである。
冒頭とエンディングではマニーの妻クローディアの母親目線でのマニーに対しての想いが語られていました。マニーは非道な残忍な男で最期まで娘があのような男と結婚したのか理解できませんでした…といった内容。いくら理由があったとしても…大義名分があったとしても…第三者目線から見れば『極悪非道な悪人』という事実は変わらないという事なのでしょう。そしてクドイかもしれませんが、どんなに理由を付けたとしても他国に対して戦争行為をするアメリカは『許されざる者』なのかもしれません…ただクリント・イーストウッドは気付いていたとしてもアメリカ国そのものが気付いていないのでは全くもって意味がないのではあるが…
まさかのアメリカ批判をしてしまいました。俺…消されないかなぁ(笑)
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日本版『許されざる者』
2013年:日本公開 監督:李相日 脚本:デヴィッド・ウェップ・ピープルズ、李相日 製作:久松猛朗 製作総指揮:ウィリアム・アイアトン 出演:渡辺謙、佐藤浩市、柄本明、柳楽優弥 忽那汐里、小池栄子 他 音楽:岩代太郎 撮影:笠松則通 編集:今井剛 制作会社:日活、オフィス・シロウズ 製作会社:ワーナー・ブラザース映画 配給:ワーナー・ブラザース映画
2013年に日本版『許されざる者』が公開。主演は2006年にクリント・イーストウッド監督作品『硫黄島からの手紙』でも主演を務めた渡辺謙が日本版『許されざる者』の主演。李監督は日本版リメイクをワーナーに打診したのだが、あまり良い顔をされなかったためイーストウッド本人に日本版の主演は渡辺謙を考えていると相談したら即答でOKが貰えた…という逸話があります。それほどイーストウッドと渡辺謙の信頼関係は強い絆で結ばれているみたいです。
日本版の何が凄いかというと…西部開拓時代のプロットを日本の明治初期に上手にハメ込んでいた事である。伝説の人斬り釜田十兵衛や北海道開拓時代、アイヌ人といったように日本の文化や時代背景に上手に置き換えれていたので違和感なく鑑賞ができました。ただ一つだけ注文を付けるのならオリジナルで保安官を演じていたジーン・ハックマンの役を日本版では佐藤浩市さんが演じていた訳ですが…カッコ良すぎませんか…って事くらい。ほぼ内容は同じではあるが、コチラはコチラで見応えがありますし日本版『許されざる者』もオススメしたい作品であります。是非ご鑑賞してみてはいかがでしょうか。
ちょっと柳楽優弥の演技が…クドイかなぁ(笑)ってくらい
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総括
クリント・イーストウッドと日本…実はとても縁が深く、黒澤明の『七人の侍』や『用心棒』といった作品はハリウッドでは『荒野の七人』『荒野の用心棒』としてリメイクされていました。特に『荒野の用心棒』は無許可で製作したことで黒澤明と揉めていた経緯はあるが本作の主演を務めていたのがクリント・イーストウッドであり、間違いなく『荒野の用心棒』がヒットしたおかげで今のイーストウッドが存在しているのである。そんなイーストウッドが2007年に太平洋戦争の日本軍を題材にした『硫黄からの手紙』が公開される。そして2013年に渡辺謙主演の日本版『許されざる者』が公開…と日米の交流の中から名作が次々と生まれていったのである。俳優としても監督としても巨匠の域に達したクリント・イーストウッドだが90歳を過ぎた年齢になっても今だバリバリの現役の映画監督で2022年1月には『クライ・マッチョ』が公開される
イーストウッドが現代に生きる我々に語り掛けるメッセージ『本当の強さ』とは…映画監督作としては40作目にあたる『クライ・マッチョ』この映画はイーストウッドの集大成とも呼べる作品。おそらく2022年の劇場で初鑑賞する初映画は『クライ・マッチョ』となりそうです…って所でオツカレっす!