『燃えよ剣』を100倍楽しもう
おはこんばんちわ(-ω-)/
管理人軍師かんべえです。
鑑賞前の予備知識!映画はもっと面白くなる。今回の作品はコチラ!
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目次
燃えよ剣
『新選組 副長 土方歳三…』
2021年:日本公開 監督:原田眞人 脚本:原田眞人 原作:司馬遼太郎『燃えよ剣』 製作:佐藤善宏、臼井真之介 製作総指揮:山内章弘、豊島雅郎 出演:岡田准一、柴咲コウ、鈴木亮平、山田涼介 伊藤英明、尾上右近 他 音楽:土屋玲子 撮影:柴主高秀 編集:原田遊人 制作会社:東宝映画 製作会社:『燃えよ剣』製作委員会 配給:東宝、アスミック・エース
司馬遼太郎の歴史小説『燃えよ剣』は1962年11月から1964年3月まで週刊文集誌上で連載。文藝春秋新社から1964年3月に刊行。司馬遼太郎の代表作の一つでテレビドラマ、舞台、劇場映画など様々なメディアで翻案されている。幕末の武装集団 新選組 副長 土方歳三の生涯を描いた作品
動乱の幕末で僅か6年だけ存在していた『新選組』 最後まで幕府側に付き新政府軍と戦い続けるが1869年五稜郭の戦いで降伏し解体する。明治の頃までの新選組の評価は新政府軍に対する賊軍であった事から『素行の悪い武装集団』というイメージを付けられていたが昭和3年になると子母澤 寛(しもざわ かん) が著した『新選組始末記』の影響で再評価され始め…司馬遼太郎の『燃えよ剣』でその人気は不動の物となってしまった。なぜ日本人は悲劇な運命を辿った『新選組』が好きなのか?これは日本人特有の『判官贔屓』が影響しているのではないでしょうか…
判官贔屓(ほうがんびいき)とは…
判官贔屓 – Wikipedia
第一義には人々が源義経に対して抱く、客観的な視点を欠いた同情や哀惜の心情のことであり、さらには「弱い立場に置かれている者に対しては、あえて冷静に理非曲直を正そうとしないで、同情を寄せてしまう」心理現象を指す
日本人は負けてる方をついつい応援したくなるという気質があります。源頼朝に対する源義経、徳川家康に対する真田幸村、大宰府へ左遷された菅原道真も当てはまりそうです。そして新政府軍と最後まで戦い散っていった新選組となる訳ですが…新選組には日本人が思わず好んでしまう『判官贔屓』の他にも…ある要素を持っていたのです。
カリスマ性の高い局長の近藤勇、鬼の副長 土方歳三、天才美剣士 沖田総司といった人気キャラだけではなく山南敬助や斎藤一、藤堂平助、井上源三郎、原田左之助、永倉新八といった新選組には欠かせない主要メンバーの存在や…新選組内で対立する芹沢鴨や新見錦、そして伊藤甲子太郎の裏切りと脱退といったように新選組内の中で多くのドラマが繰り広げられていきます。実は『新選組』の中には私たち日本人が大好物でもある若者たちの青春群像劇が存在するのである…少しの知識だけで映画はもっと面白くなる!『燃えよ剣』を100倍楽しもう!
実は劇場公開前に記事を書いています。鑑賞後に記事を変える可能性がありますのでご了承ください。
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幕末
『燃えよ剣』を楽しむ上で最も重要なポイントは『歴史を知る』という事。武州多摩の試衛館時代から京で壬生浪士組が結成され新選組となり…池田屋事件、大政奉還、鳥羽伏見の戦い…そして五稜郭といった土方歳三の激動の人生そのものが描かれている作品となっている。148分の中で全てを語るのは非常に難しく、歴史上の出来事は知っている…というテイで話は進んで行くと思われます。とにかく幕末は登場人物が多く…事件や戦もあちこちで頻繁に起こってしまう。その中で思想も矢継ぎ早に変わっていき…誰と誰が対立しているのかも日々変わっていく始末。だからこそ幕末は面白い時代なのだが…逆を言うならとっつきにくい時代でもある。歴史を知らない人は置いてけぼりを喰らう可能性が高い時代でもある。だからこそ『歴史を知る』事は重要で『燃えよ剣』を楽しむために必要な出来事をココでは簡単に分かりやすく説明していきたいと思います。
黒船来航
1603年に開かれた徳川幕府は外国との交流を極端に制限した鎖国政策を始める。1853年ペリー提督が率いる黒船来航まで実に250年間殆ど外国との交流がなかった日本は世界の文明から大きく遅れをとる結果となってしまった。ペリー提督は軍艦から空砲を放ち日本に港を開くよう脅迫に近い要求をしてくるのである。遂に翌年の1854年『日米和親条約』が結ばれ下田と函館の2つの港を開き250年間続いた鎖国政策は終焉を迎えることになります。そして1856年には再びアメリカ艦隊が来日。総領事タウンゼント・ハリスは更に日本の港5ヵ所の開港を迫り日本にとって不平等とも言える『日米修好通商条約』を要求してくる。1858年 大老の井伊直弼は朝廷の許可もなく独断で『日米修好通商条約』を締結させてしまう。
大老の井伊直弼が独断で不平等条約を結んでしまった事!これにより日本中の侍が激怒してしまうのである
安政の大獄
大老 井伊直弼は朝廷の許可もなくアメリカとの不平等条約を結んだ事から全国の大名や公家、武士、学者から反感を買ってしまう事になる。しかし井伊直弼は自らの政策に反対した勢力を大弾圧していく事になります。後の15代将軍となる一橋慶喜や越前国福井藩主の松平春嶽をも謹慎処分とし…長州藩の吉田松陰を過激な攘夷論者として斬首、越前国福井藩家臣の橋本佐内を将軍継嗣問題に介入したことで斬首…など8名が死罪となり100名以上が安政の大獄で処罰されました。
攘夷(じょうい)とは…
攘夷とは – コトバンク
外敵を打ち払って入国させないこと。外国人を追い払って通交しないこと。特に幕末の外国人排斥運動をいう。
吉田松陰が処刑前に詠んだ辞世の句『身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂』この句により全国の攘夷派の志士が立ち上がったのである
桜田門外の変
1860年(安政7年)3月3日江戸城の桜田門外で水戸藩からの脱藩者17名と薩摩藩士1名が大老 井伊直弼を暗殺した事件。この事件で問題となったのが大老という国の重要なポストに就いている人間がいとも簡単に暗殺されたという事実。これは徳川幕府の弱体化を意味し…更に外国に対し弱腰の姿勢を見せ続けたことで全国で『倒幕』という思想が生まれるキッカケとなった。
井伊直弼の暗殺から一気に激動の時代へと突入していく…まさしく『桜田門外の変』は始まりに過ぎなかった
佐幕VS尊王攘夷
『桜田門外の変』以降…全国では『倒幕』という動きが活発になってくる。天皇を尊び外国人を追い出す『尊王攘夷』という思想が広まっていく。帝が居る京に志を持った者たちが…いわゆる維新の志士たちが集結するのである。中でも長州(現 山口県)と土佐(現 高知県)は京で猛威を振るい尊王攘夷派に反発する役人や公家を次々と『天誅』という名の下で暗殺を繰り広げていた。
幕府側も攘夷派の志士を取り締まるため京都見廻組を結成したり、京都守護職の会津藩が結成した壬生浪士組(後の新選組)に京の治安を守らせることになる。
血煙立たぬ日無い、生首の転がらぬ日無い…
この時期の京は地獄絵図にも似た世界が広がっていて修羅場と化していた。長州と土佐は暗殺を繰り返す事で朝廷をも動かすほどの力を付けようとしていたが…それが仇となってしまう。尊王攘夷の後ろ盾となるはずの朝廷がやりたい放題の長州と土佐を見限り裏切ってしまうのである。
ここで出遅れた感のあった薩摩藩が一石を投じた事で更に混乱を生むことになります
八月十八日の政変
尊王攘夷派の後ろ盾となっていた朝廷は薩摩藩が進言した『公武合体』の意見にあっさりと鞍替えしてしまう。京都守護職の会津藩と薩摩藩は1863年8月18日に尊王攘夷過激派の中心であった長州と土佐を京から追放することになる。
公武合体とは…
公武合体とは – コトバンク
日米修好通商条約の締結以降、動揺を続ける幕藩体制を朝廷の伝統的権威と結びつくことによって立て直そうとした運動。要は対立するのではなく徳川幕府と朝廷の絆を強める運動。
そして八月十八日の政変で会津藩お預かりの壬生浪士組は朝廷から高い評価を受け『新選組』という新しい隊名を与えられる事になる。近藤たちがその名にふさわしい存在だと認められた証となる。
この政変により長州と土佐は一気に京から追われる存在となってしまう。
蛤御門の変
八月十八日の政変により京を追放された長州藩が勢力回復を図り蛤御門(はまぐりごもん)付近で会津・薩摩藩と衝突した事件。帝が御座す御所に向かい発砲したことで朝敵(朝廷に対する敵)と見なされてしまう。この戦により長州のリーダーであった久坂玄瑞、来島又兵衛をも失ってしまった事で薩摩と会津に対し異様なまでの敵対心を抱く様になってしまう。
ちなみに画像は大河ドラマ『西郷どん』で俳優デビューを果たした来島又兵衛役の長州力。キレてないですよ…
長州征伐
京都にて蛤御門の変を起こした長州に対し朝廷は長州追討の勅命を発した。この勅令を受けて徳川幕府は1864年と1866年の2回にわたり長州征伐を開始する。長州は孤立無援となり滅びる運命になりかけるのだが…ココでまた歴史が動き出してしまう
絶体絶命の長州であったが…ココであの人物が登場となる
薩長同盟
長州を京から追い出す事になった公武合体論を進言したのは薩摩藩。蛤御門の変で長州の前に立ち塞がったのも薩摩藩。長州は薩摩に対し並々なら憎悪を抱いていた。とある長崎の酒場で薩摩言葉を聞いた長州人が薩摩人に斬りかかった…なんて事件が起こるくらいである。しかし水と油とも呼べる この2藩に同盟を持ちかけてきた人物がいた…
『敵の敵は…友じゃ!』と言ったかどうかは不明だが…いがみ合う2藩ではあるが共通の敵である徳川幕府という存在を示した事で同盟を結ばせる事に成功させる。薩摩と長州の同盟は今までの日本のパワーバランスを一気に崩す事になってしまう。徳川幕府に従っていた各藩が次々と薩長軍に寝返ってしまうのである。長州征伐に討って出た徳川幕府は逆に孤立無援に近い状況になってしまう…そして会津藩預かりであった新選組の立場も悪くなり…薩長同盟以降は破滅の道へ歩み続けることになってしまう
薩長同盟って簡単に書いてしまったが結ばれるまでには紆余曲折があり坂本龍馬はガチ切れして『おまんら!二人を切り殺してワシも死ぬ!』と言って切りかかったエピソードがあります(怖っ)
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戊辰戦争
1867年 徳川幕府は薩長同盟が結ばれた事で全ての政権を朝廷に返す『大政奉還』を発する。しかし徳川慶喜の狙いは250年間に渡り政治を行ってきた徳川家の協力が最終的には必要とされるであろう…という考えであった。しかし新政府軍は徳川が出した『大政奉還』に対し徳川家の協力は必要ではないですよ…という『王政復古の大号令』を発したのである。コレにより長年続いてきた武家政治が終焉を迎え天皇が統治する君主制へと政治転換していくことになります。
『大政奉還』は慶喜が打って出た大博打であったが返す刀に『王政復古の大号令』を発令されてオワコンになってしまった…しかし慶喜の心境とは裏腹に動き出す何かがいたのである…
鳥羽伏見の戦い
政権を返上した徳川に対し武力倒幕を目論んでいた新政府軍は『王政復古の大号令』を発令し徳川の怒りの反発に期待するが不発に終わってしまう。しかし薩摩の西郷隆盛は幕府への挑発行為を繰り返し行った事で遂に幕府は江戸の薩摩藩邸を襲撃してしまいます。この襲撃を発端として薩摩藩と旧幕府軍の戦いが鳥羽・伏見にて始まってしまいます。
錦の御旗
戊辰戦争の初戦となった鳥羽伏見の戦いでいきなり新政府軍に掲げられたのが『錦の御旗』であった。錦の御旗は天皇から官軍の大将に与えられる御旗で朝敵征伐の証となる。新政府軍が掲げた事により薩摩・長州の連合軍が正式な朝廷の軍であると認められた事になり…旧幕府軍が天皇の敵であるという証にもなってしまいます。この錦の御旗の効果は想像以上であり一気に旧幕府軍の士気は低下…更に大阪城にて戦いを見守っていた旧幕府軍の総大将でもある徳川慶喜は戦意喪失のあまり江戸へ逃げ帰ってしまう…総大将を失った旧幕府軍は新たに加わった各藩からの攻撃も受け大敗を喫してしまう。
鳥羽伏見の戦いの中で新選組は旧幕府軍として参加。150人ほどいた隊士は40数名になっていました。この戦いで土方は『もはや刀や槍の時代ではなくなった…』と嘆き以降は西洋式の戦術でもある銃や大砲を中心とした戦い方に変えたという逸話が残っています。
西郷の粘着質は異常とも呼べるもので…どうしても武力倒幕をしたかったみたい…どこまで怒らせたんや
五稜郭の戦い
『鳥羽伏見の戦い』が終わると新選組は『甲陽鎮撫隊』と名を改め甲府城で新政府軍と激突するがここでも大敗を喫する。そして遂に近藤勇は下総流山で新政府軍に投降し斬首される事になる。生き残った新選組副長の土方歳三は会津・仙台を経て最終決戦となる函館は五稜郭へ向かう事になる。
俺が新撰組だ
この漫画は『修羅の刻 幕末編』の五稜郭の戦いでの土方歳三の台詞。『オレが…新撰組だ』このセリフこそが全てを物語っていて非常に大好きな土方歳三の描き方をした作品である。鬼の副長と呼ばれていただけに感情のない冷酷非道な描かれ方をされる事が多いが誰よりも人間臭いのは間違いなく土方歳三なのである。『燃えよ剣』で期待するのは歴史ではなく土方歳三の人間ドラマとしての描かれ方。だからこそ最低限の幕末の知識はつけておく方が何倍も作品が面白くなるはずである。長文にお付き合い下さりありがとうございました
幕末の面白い所は登場人物が多いので色々な目線で見ることができます。新撰組からの目線、坂本龍馬からの…高杉晋作、西郷隆盛、桂小五郎、緋村抜刀斎、志々雄真実…あれ?
新選組
新撰組のトレードマーク『浅葱色のだんだら模様の羽織』に『誠』の文字。誰もがスグに連想してしいます。かなり派手な衣装なのだがこの模様、この色こそが新撰組が進むべき道を示していた事はあまり知られていません。この『だんだら模様』と呼ばれるギザギザの形はどこかで見た覚えがないでしょうか…忠臣蔵で四十七士が羽織っていたのが『だんだら模様』の羽織でした…
忠臣蔵と言えば忠義の物語である。新撰組が羽織に『だんだら模様』を入れたのは徳川に対する忠義を示したものだと想像できます。結果として最後の最後まで徳川に付き信念を貫き通しました。そして『浅葱色』は切腹の時に着用する裃(かみしも)の色である。『死ぬ覚悟』は既にできているという表れ。そして『誠』の文字は武士道を表している。
新撰組が目指していたのは『侍』以上に『侍』になる事…禁を侵した者は幹部でさえ切腹を申し付けていたのです
壬生浪士組
壬生浪士組(みぶろうしぐみ)とは新撰組の結成当初の頃の名前で京都壬生村に屯所を置いていた事から付けられた組名である。京では壬生浪(みぶろ)と呼ばれていました。
1863年徳川家茂が京に上洛する際に護衛として結成された浪士組を率いたのが清川八郎。しかし清川は尊王攘夷の志を抱いていたことから浪士組を尊王の志士へと変えようと策略する。しかし近藤勇を始めとする試衛館メンバーと水戸藩浪士の芹沢鴨の一派は忠義に反するとし清川八郎と袂を分かつ事になる。そして近藤勇と芹沢鴨を中心に新撰組の前身となる『壬生浪士組』が結成される
新撰組の出発点となるのが壬生浪士組の結成。身分を問わず集められていたので殆どの者が清川の説明の意味が分からなかったらしい…
芹沢鴨暗殺
天狗党の元幹部という噂があったのが芹沢鴨。当初の壬生浪士組は近藤、芹沢、新見の3人局長体制であった。どの作品を見ても芹沢鴨は極悪人として描かれる事が多い。実際に粗暴で女癖が悪く酒乱であった事は確かみたいだが統率力といった能力が優れていた事も確からしい。少なくとも近藤や土方が理想とする武士道とはかけ離れていて常に頭の痛い存在であった…
こんな感じで悪人として描かれる事が多い芹沢鴨。壬生浪士組は八月十八日の政変の活躍により朝廷から『新撰組』の名を貰う事になる。より隊としての質を問われる事になるが局長の芹沢鴨の酒癖、女癖はますます酷くなる上に強盗までする始末。遂に近藤一派は局長であった新見錦(芹沢一派)を切腹に追い込む。そしてもう一人の局長 芹沢鴨は寝込みを襲われ暗殺されることで新撰組は近藤勇の一人局長体制となる
芹沢鴨暗殺により一枚岩となった新撰組…と言いたいがココから新撰組は深い暗闇に迷い込んでしまう。組内での粛清が頻繁に行われるようになってしまいます。
池田屋事件
『新撰組』と言えば『池田屋事件』…『池田屋事件』と言えば『新撰組』もうニコイチみたいな関係で『新撰組』が一気にスターダムとなった事件。八月十八日の政変で失脚した長州藩が巻き返しを図るために京都守護職に就いている会津藩藩主の松平容保の暗殺、京市内の放火、孝明天皇の誘拐といったテロ行為を未然に防いだ事で『新撰組』の名が世間に知れ渡った。定番となるのが沖田総司の初吐血シーンと池田屋の階段落ち…果たしてどのようになっているのか…
大勢で斬り込んだイメージがあったのだが…実は近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助の4人だけで20数名相手に突入したみたいです…命知らずか!
土方歳三
『泣く子も黙る鬼の副長』と呼ばれ新撰組内でも恐れられていた土方歳三。隊の規律を破る者や乱す者には幹部であろうと竹馬の友であろうと粛清を行ってきた。武州多摩の試衛館時代の頃からの付き合いであった参謀の山南敬助ですら脱走の罪で切腹を申し渡すほどである。実は鳥羽伏見の戦いまでに新撰組が殺害した敵は26人いました。それと比べて新撰組内での内部粛清で亡くなった隊士は40人。なぜそこまでに厳しい規律を作らなければいけなかったのか…土方は新撰組に何を見ていたのか…
顔もイケメンなら生き方もイケメン…武州多摩でも江戸でも京でもモテまくったらしい…今も昔もチョイワルがモテるみたいですね…
『燃えよ剣』を楽しむポイント
本来は2020年に公開予定だった『燃えよ剣』だが新型コロナウイルスによる影響で幾度となく延期され2021年10月15日にやっと公開されることになりました。『燃えよ剣』は1966年以来54年ぶりの映画化でファンの年齢層はかなり高めで公開初日のレイトショーで鑑賞したのだが遅い時間にも関わらずご年配の方が多く見られました。やはりこういった歴史映画はある程度の知識は必要になってくるので鑑賞前には是非とも今一度 本記事を見返して欲しいものでもある。ただドキュメンタリーではないので創作物だという点もお忘れなく…そして本作でキーパーソンになる人が…
柴咲コウが演じたお雪。司馬遼太郎が創作した架空の人物ではあるお雪は冷酷冷徹なイメージがある土方歳三に人間としての温かみを与えてくれる存在であった。こういった恋愛パートもある事で良いアクセントとなっていたのだが…それにしても柴咲コウはすっぴんでもキレイなんですね。土方もデレデレしてしまうわ!
それでは素敵な映画の世界へ行ってらっしゃいませ