『コーダ あいのうた』をモーっと楽しもう

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『コーダ あいのうた』の
徹底解析・完全ネタバレとなっております
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『コーダ あいのうた』の考察レビューとなっておりネタバレが含まれております。
未鑑賞の方は鑑賞前の予備知識編の記事をご確認の上で再度お越しください
目次
コーダ あいのうた

引用元:【ネタバレ感想/考察】『コーダ あいのうた』言語としての手話と家族のつながり – モブログ
2021年:アメリカ公開 2022年:日本公開 監督:シアン・ヘダー 脚本:シアン・ヘダー 原作:映画『エール』 製作:ファブリス・ジャンフェルミ フィリップ・ルスレ ジェーロム・セドゥ 他 製作総指揮:サラ・ボルチ=ヤコフセン アルダヴァン・サファエ 出演者:エミリア・ジョーンズ エウヘニオ・デルベス トロイ・コッツァー、ダニエル・デュラント フェルディア・ウォルシュピーロ 他 音楽:マリウス・デ・ヴリーズ 撮影:パウラ・ウイドブロ 編集:ジェロード・ブリッソン 製作会社:ヴァンドーム・ピクチャーズ パテ・フィルムズ 配給:Apple TV ギャガ
サンダンス映画祭で史上最多の4部門受賞、アカデミー賞でも作品賞を含む3部門を受賞、配給権も史上最高額の26億円でApple TVが落札と2022年の映画界の話題の中心となっていた作品が『コーダ あいのうた』
近年アカデミー賞などの賞レースで評価されるためにはポリコレ要素を意識するのが傾向としてあるが本作は聴覚障害者が題材となっているとあって基準は満たしてはいました。
ポリコレとは…
ポリティカル・コレクトネスの略。社会の特定のグループのメンバーに不快感や不利益を与えないように意図された政策または対策などを表す言葉の総称。例)男女差別、人種差別など
引用元:ポリティカル・コレクトネス – Wikipedia
『コーダ あいのうた』は2014年のフランス映画『エール!』のリメイクであり権利を所有していたフィリップ・ルスレがアメリカ人向けにシアン・ヘダー監督に打診して製作が開始されたという経緯があるので特にアカデミー賞を視野に入れて製作が開始された訳ではないと私は思っています。
引用元:Cast | 映画『Coda コーダ あいのうた』公式サイト (gaga.ne.jp)
結果としてポリコレ要素が既に含まれていただけであって賞レースを意識したお涙頂戴の感動ポルノ作品ではないということである。
監督でもあり脚本も担当したシアン・ヘダーはアメリカ手話だけでなく熱心にろう文化も学び更にキャスティングに ろう者を起用したことで作品にリアリティが生まれている。
主人公のエミリア・ジョーンズも父親役のトロイ・コッツァーのアドリブに手話で返すほどアメリカ手話を学習していたのである。
こういったスタッフや役者たちの努力が実ったこともあり実際のCODAの方や聴覚障害の家族を持っている方たちから多くの支持を得ることができたのです。
『CODA』とは…
引用元:コーダあいのうたは面白いけど歌はしょぼい!ネタバレ感想
Children of Deaf Adultの略。
『聴覚障害を持った両親に育てられた子供(聴者)』の事を頭文字を取って
”C.O.D.A”『コーダ』と呼んでいます。
私が本作を鑑賞してろう者の現実というかリアルな悩みを感じてしまった事がありまして
母親のジャッキーが生まれてくる娘が耳が聞こえる事が分かった時に『この娘とは分かり合えないかもしれない』と不安を感じてしまった事をロビーに告白していました。
五体満足であれば…は聞いた事はあるが『ろう者』として産まれてきて欲しかったは意外である。しかし考えてみれば そう思ったとしても不思議ではありません。
家族全員が『ろう者』であるなら娘に負担をかけることはありませんし苦労も共有できます。ロビーだけが聴者であるため頼らざる負えないのである。物心付いた時から家族の耳となり口となっていて、それが彼女の日常の生活だったのです。
健聴者の私達から見れば『仕方がない』と簡単に消化してしまいそうになるが実はロビー自身の人生が犠牲になっていたことに気付かされるのです…といったようにココでは『コーダ あいのうた』を既に鑑賞しているという前提で記事を作成しております。ネタバレ注意となっておりますのでご了承ください。

自立の物語
引用元:写真3/11|コーダ あいのうた – ファッションプレス
本作は聴覚障害を家族に持つCODAの物語とあって一見は社会的なメッセージ性の強い作品と思われがちですが実際は家族の絆をテーマとしたコメディ映画寄りの作りとなっていました。
特に難しい展開もなく家族からの『自立』が描かれていたのです。
CODAである負担
引用元:映画『コーダ あいのうた』アカデミー賞作品賞
冒頭でロビーは父と兄と共に海に出て漁を行い港では組合と魚の交渉をする…という普通の女子高校生とはズレた日常を送っていましたがコレが ろう者を家族に持つロビーの日常だったのです。
同級生からは魚臭いと馬鹿にされ、仕事が原因で勉強についていけなかったり、第一言語が手話であるため他人とのコミュニケーションがトラウマとなっていたのです。
引用元:─=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ – 『コーダ あいのうた』 – Powered by LINE (lineblog.me)
ココで面白い描き方がされていたのが『聴こえない』という事に対して卑屈になっていたのが『ろう者』の3人ではなく『聴者』であるロビーだけだったのです。
両親は性病のせいでSEXができないと騒いでいたり兄は出会い系サイトにハマっていたり…と中々と逞しい生き方をしているのだがロビーだけが『聴こえる』だけに周りに気を使って暮らしているのである。
ロビーは生まれた時から家族の『耳』となり『口』となる生活こそが当たり前であり幼い時から買い物やレストランなどでも店員と交渉をしていたのです。
中には代弁しているのが子供だからという理由で自分の有利になるように交渉を進める悪い大人もいるみたいです。
子供にとってどれだけ負担になるか…私達では想像もつきません
引用元:映画『Coda コーダ あいのうた』公式サイト
物語は急展開していきます。歌う事に喜びを見出したロビーの心とは裏腹に家族は漁業組合から脱退をして自ら魚の売買を行う事業を始めてしまうのです。もちろんロビーの通訳がココでは重要になってくるのです。
ロビー以外は物理的に音楽を楽しむ事ができないため彼女の情熱を理解することが全くできないのである。音楽大学に進学したいという気持ちも母親からすれば『反抗期』としか捉えておらず今まで通り家族の『耳』となり『口』となって傍にいてくれることを期待していたのです。
兄の存在
引用元:映画『Coda コーダ あいのうた』公式サイト
2014年『エール!』の大きな変更点の一つで『弟→兄』になっていました。兄のレオは妹に負担を背負わせていることに対し不満を持っていて自分たちだけで『自立』をしたかったのです。
法律的に船には聴者を同乗させる必要はありますが事業が成功すれば人を雇えば問題は解決できます。
レオは音楽の理解はできないにしても妹が大切にしている音楽の想いの深さは理解してやることはできていたのです。
短気で喧嘩早く女スキなところはありますがレオがいれば家族は大丈夫… きっと事業も成功させるに違いありません… といったように『コーダ あいのうた』は父・母・兄の3人がロビーから自立していく展開のように思えますが実は自立をしていたのは逆だったのです
自立したのは…
引用元:『Coda コーダ あいのうた』の感想!これは絶対見るべき映画
『一生家族とはいられないよ…』
上の言葉はロビーが決意をした時に家族に言ったセリフであるが『私に甘えないで』という意味だけではなく『これからは家族のせいにはしない』という意味が込められていると私は感じてしまいました。
ロビーはCODAであるため色々な事を諦めていました。もちろん現実的に考えれば家族なのだから犠牲になってしまうのは仕方がないのであるが『通訳となる』『仕事を手伝う』『コミュニケーションが取れない』『進学を諦める』『夢を諦める』
『家族が ろう者であるため』が彼女のできない理由となっていたのである。社会的にもこの理由は正当な理由であり誰もが理解してくれる理由でもあります。
しかしロビーは今まで自分が置かれている状況を理由に逃げていたことに気付くことができたのです。彼女が進もうとしえいる音楽の世界は『家族がろう者』というのは失敗理由として成り立たない厳しい世界なのである。
『コーダ あいのうた』は一人の少女が家族の絆を深めながら自立していく物語なのであります。

自立したのはロビーだったんですねぇ。

V先生
引用元:【ネタバレ】『コーダ あいのうた』
『コーダ あいのうた』はロビーが家族から自立していく物語という事は上でも書きましたがココで彼女が自立するために重要なキーパーソンとなっていたのがコーラス部の顧問であるベルナルド・ヴィラロボス。通称V先生である。
イケメン男子のマイルズもロビーにとって良いアクセントとなっていたが彼女が夢を諦めずに前に進む道を選ぶキッカケとなったのはV先生の必死の愛の指導だったのです。
引用元:『Coda コーダ あいのうた』の感想!これは絶対見るべき映画
V先生はロビーの家族の事情を知っていながら一切 考慮をせずに厳しく音楽指導をしていました。それは高校という枠の中で守られている時は『家族の事情』は理由になるが社会に出れば理由にならない事を知っていたからである。
ましてや芸術の世界では尚更と理由にならないのである。だからV先生はロビーに対し同情するような言葉を一切かけていないのである。
オーディション
引用元:【ネタバレ感想/考察】『コーダ あいのうた』言語としての手話と家族のつながり
バークリー音楽大学のオーディションで突如としてロビーの演奏を買って出るV先生。細かいツッコミ所は良しとして緊張のあまり本調子が出ていないロビーに助け舟を出す優しさは彼の本当の姿なのかもしれません。
V先生は純粋にロビーの歌声に可能性を感じ一流の歌い手になることを夢見ていたのかもしれません。
『私が教師になったのは天職だからだ』
音楽を目指す者にも色々なパターンがあるのでしょう。人前で歌や曲を披露して評価されるのも音楽家の一つの道ですが才能ある者を伸ばしていく指導者になるのも一つの音楽家としての道だと思います。
V先生はロビーがいずれ一流の歌手へと成長できる逸材であると夢を見たのでしょう。
引用元:【 アカデミー作品賞 】「 コーダ あいのうた 」レビュー、アマプラで独占配信中
オーディションで見せた最高の涙腺崩壊シーンが『青春の光と影』の歌に合わせて家族に向けて手話で家族への愛を伝えるシーンである。
もちろん家族は耳が聞こえないためロビーの歌声を聞くことはできません。しかし歌声は届かなくても彼女が全身全霊で表現した想い(手話)は伝わることができます。家族は初めて音楽で感動をしたのです。
『青春の光と影』という歌の内容も…『片方の面でしか物事を理解していなかったが両面から見た時に感じ方が変わった』といった歌詞となっています。
ロビーは自分がCODAであることから卑屈となってしまい家族を含めて私たちは世間からはみ出した存在であると思っていたが実は家族一団で乗り越えようとしている姿は世間から『仲の良い家族』だと羨ましがられていた事実を知っていしまいます。
私は何も分かっていなかったのです。私にはこんなにも大切な家族がいつもそばにいてくれた事を…

このシーンを見て心が動かされない人なんているんでしょうか…
6/4(日) U-NEXTで独占ライブ配信

3つの視点
本作を観た人たちが映画を通じて視点の変化を自分の生活の中に持ち帰ってくれたらうれしい
引用元:史上最高、26億円で落札された感動作! ろう者の家族の珠玉作
監督のヘアン・シダーはインタビューで視点を切り替えながら鑑賞すればより感じ取れるかもしれません…とコメントを残していました。もちろん『CODA』『聴者』『ろう者』の3つ視点であります。
『CODA』の視点
引用元:コーダ あいのうた(2019) – 星屑シネマ
映画の多くはロビー目線である『CODA』視点で演出されていました。
彼女は『聴こえる』だけに世間に気を使いながら生活をしているのである。特に音に対しては非常にナーバスになっていて家族は聴こえないだけに騒音を出している事に気付いていないのである。
家族の事は愛していても…どこか『ろう者』である事を世間的に後ろめたく思っていたのでしょう。そして自分の人生を犠牲にする事で家族は暮らしていけるのだと思い込んでいたのです。
しかし『青春の光と影』の歌詞の様にロビーの考えは一側面だけでの考え方であり多角的に考えれば『自分の人生を犠牲にする』という選択肢しかない訳ではなかったのです。
どうしても自分だけが『聴者』となった場合、ロビーの様な考え方になるのは必然的なのかもしれません。自分が何とかしなければ…と感じてしまうのだが意外と『ろう者』は逞しいのである。
『聴者』の視点
日本の聴覚障碍者数(2016年)は約30万人と言われています。多く感じてしまうが実際に生活をしていて完全に聞こえない『ろう者』と言われる人と私は今まで出会った記憶がありません。
だからこそ言い方は悪いが『珍しい』と思ってしまいますが特に差別的な行動を取る事もありません。逆にどう接していいのかが分からないので動くに動けないのである。
この曖昧な態度が聴覚障害を持つ家族にすると『冷たい目線』だと勘違いさせてしまうのかもしれません。本作の中では差別的な言動をしていた同級生はいたが…あいつは地獄に堕ちるとしてマイルズの様に何もできずにオタオタするしかないのである。
映画の中はロビー目線の『CODA視点』で描かれているが実際に映画を鑑賞している目線は『聴者視点』なのである。私たちは映画を鑑賞して『ろう者』や『CODA』の生活を知るのである。
『ろう者』の視点
引用元:「CODA」って何?
本作は『ろう者』視点で数か所ほど演出がされていました。
コーラス部の発表会の際にロビーとマイルズがデュエットで歌った『You’re all I need to get by』が途中から無音になるのは『ろう者視点』の演出だったのです。
音楽は人を感動させることができる…というのは頭では理解できても物理的に体感できないだけに体に落とし込めることができなかったのです。しかし娘の歌を聴くことはできないが周りを見渡せば娘の歌で感動をしている人たちが大勢いることに気付くのです。
引用元映画「コーダ あいのうた」感想
父親はコーラス部の発表会で娘のロビーには歌で人を感動させる力があることを初めて知るのです。しかし自分にはその感動を体感することができないためロビーの喉に触れて一生懸命に彼女の歌を感じているシーンも涙無しでは見れませんでした。
シアン・ヘダー監督が語ったように本作は色々な視点を切り替えて鑑賞することで深く作品を知ることができる演出がされていました。さすがアカデミー作品賞とあって凝り方も素晴らしいすぎます。

久しぶりに映画を観てトリハダが立ってしまいました。無音って…

総括

引用元:【ネタバレ感想/考察】『コーダ あいのうた』言語としての手話と家族のつながり – モブログ
本作が素晴らしい作品だと感じたのは障害を題材にしているが物語の中で決して障害がハンデキャップになっているという演出がされていなかった所です。ろう者である3人は人生を楽しんでいて決して私たちが勝手に思っているようなネガティブ思考ではありませんでした。
本作で描かれていたのは一人の少女の自立の物語であり、聴覚障害というのは一つのスパイスでしかなかったのです。だからこそ素直に感動ができたのかもしれません。
今更ではありますがタイトルである『CODA』は二つの意味を有しています。
Children of Deaf Adultの略。
『聴覚障害を持った両親に育てられた子供(聴者)』で頭文字を取ってのCODA
そして音楽用語で「末尾」「最後部」という意味でクラシック音楽では楽曲の最後に曲全体を締めくくるためにつけられた部分のことを『CODA』といいます。また曲中の大きな段落を締めくくる部分という意味でもあるみたいです。
長い人生の中で第一章を締めくくる記号でもあり、そして次の章へと繋がっていく記号でもあるのでしょう…って所でオツカレっす!